大雲院

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    大雲院関連リンク – 「火除天満宮(大雲院跡)

    大雲院
    [大雲院(だいうんいん)は、京都市東山区にある浄土宗系単立寺院。山号は龍池山。本尊阿弥陀如来。寺内は通常は非公開である。通称:銅閣寺または銅閣。
    天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けるという形で、貞安(じょうあん)を開山として、織田信長の子信忠菩提を弔うために、信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建したのが初めで、大雲院という寺院名は、信忠の法名からつけられた。
    しかし同年中に都市政策(京都改造)を理由として、豊臣秀吉の命にて四条寺町南(四条河原町、下京区)に移るように指示され、天正18年頃に四条に移ったと言われる。後陽成天皇により勅願所ともなった。
    また境内墓地には石川五右衛門の墓があり、これは処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡した縁による。
    その後、度々、火災で焼失し、明治初期に再建されたが、周囲が繁華街となったことで、1972年(昭和47年)に、髙島屋京都店増床に伴い、東山区の大倉喜八郎旧邸を買得して再移転した。
    2014年、京都市下京区の河原町通四条の発掘調査で、旧大雲院の敷地跡から豊臣秀次の供養塔の一部とみられる石材が見つかった。大雲院は秀次の切腹後、三条河原で処刑された側室らを供養したとする文献があった。
    同じく織田信忠の慰霊のために、妙心寺にも同名の大雲院が建立され、これには信忠の乳母慈徳院と九天宗瑞らが尽力した。この院は、1692年、九天宗瑞が開いた隣接する長興院と合併されて現存しない。ここには二条城で九死に一生を得た織田長益の子長孝が葬られたという記録がある。
    寺内は通常は非公開であるが数年おきに期間を限って公開され、公開の際は祇園閣に登ることや、墓地の石川五エ門墓所や織田信長らの慰霊碑の参拝もできる。書院の内部公開は行われない。
    伽藍
    ●山門
    ●本堂 – 1973年(昭和48年)完成 
    鐘楼
    ●祇園閣 – 1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部である。屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣銀閣に次ぐ銅閣として作ったためである。祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太。1997年(平成9年)12月12日、国の登録有形文化財に登録された。
    島津以久の墓所 - 佐土原藩初代藩主は伏見で亡くなったために同院に葬られた。
    祇園閣

    秀吉の移転命令による大雲院跡(四条寺町南)・wikipedia-photo、「京都・東山花灯路の期間中ライトアップされる祇園閣」・wikipedia-photo  (wikipedia・大雲院_(京都市)より)]

    都名所図会」・巻之二 平安城再刻 大雲院巻之二 平安城再刻 龍池山大雲院 (大雲院)解説

    年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「大雲院涅槃会の図」(2-22)

    大雲院 – Google Map 画像リンク」「大雲院 祇園閣 (銅閣) – Google Map 画像リンク」「石川五右衛門墓所 – Google Map 画像リンク

    カメラ西方向が大雲寺山門です。

    大雲寺本堂前のカメラで、カメラ初期設定方向が鐘楼です。

    カメラ位置は南門前で、南門右後方に祇園閣(銅閣)があります。

    カメラ北方向が祇園閣(銅閣)です。

    石川五右衛門の墓

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