円山安養寺

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    円山安養寺
    [安養寺(あんようじ)は、京都市東山区にある時宗の寺院。山号は慈円山。京都盆地の東山山麓、円山公園の北東隅に位置する。法然上人ゆかりの吉水草庵とも呼ばれる。
    円山公園の一画は、明治政府によって官収された安養寺の元境内で、公園の名称「円山」も安養寺の山号「慈円山」に由来する。
    延暦年間(782年 – 806年)に最澄がこの真葛ヶ原の北東の地に、桓武天皇命によって開山となり、建てられたと伝える古寺。平安時代には荒廃していたが、付近の青蓮院に住していた天台宗慈円(慈鎮和尚)の援助を受けた法然承安5年(1175年)にこの地に住み、吉水草庵を建てて浄土宗の教えを広め始めた。
    証空などの弟子も増えていくと境内が狭くなり、次第に中房、西の旧房、東の新房の三坊に広げられ、建久年間(1190年 – 1198年)には慈円が隠居所「吉水房」を創建する。
    浄土真宗の開祖となる親鸞建仁元年(1201年)にこの地に来、法然の弟子となった。なお、慈円の兄は法然の信者である関白九条兼実であり、親鸞は慈円の下で得度しているという関係があった。
    しかし、建永元年(1206年)に起きた承元の法難によって、法然は土佐国、後には讃岐国に流罪にされ、浄土宗の一大拠点吉水草庵は大打撃を受ける。そこに慈円が本格的に吉水草庵ならぬ安養寺の復興に着手しだし、比叡山から弁財天を勧請して弁天堂を建て、安養寺の鎮守とし、さらに境内に法華懺法を修する道場として大懺法院を建立したため、寺勢は回復し、慈円は吉水僧正や吉水大師と呼ばれるようになった。山号の「慈円山」は慈円からとられたものである。
    南北朝時代となり、時宗の国阿上人が永徳年間(1381年 – 1383年)に住職として入って以後は、時宗十二派の一つ、霊山派(現、国阿派)本山正法寺に属し、その末寺となった。
    ●吉水弁財天堂 – 慈円が勧請したという弁財天を祀る。「円山の弁天さん」と呼ばれ、祇園花街の人々から技芸上達の信仰を集める[3]。
    ●吉水井(よしみずのい) – 弁天堂の傍らにこの吉水の地の名前の由来となった「吉水井」と呼ばれる涸れた井戸が残されている。かつては慈円が「閼伽の水」とした名水で、青蓮院の儀式にもこの水を使うしきたりがあった。名匠で知られた三条宗近粟田口吉光とも)がこの吉水で刀を鍛えたとの伝説も残る。
    ●石造宝塔(重要文化財) – 高さ3メートルの宝塔。慈円僧正塔(慈鎮の塔)と伝える。鎌倉時代の様式を留めたもので、塔身に釈迦如来多宝如来の両如来を浮き彫りする。  (wikipedia・安養寺_(京都市東山区)より)]

    円山安養寺資料リンク
    都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 円山安養寺 (安養寺)」、「巻之三 左青龍再刻 円山安養寺 (安養寺)解説
    円山安養寺 (安養寺)(拡大図)

    [円山安養寺(まるやまあんようじ)
    風さはぐ真葛原の夕ぐれは都にしらぬ秋のやまかぜ  慈鎮]

    花洛名勝図会」・「東山之部 五 円山安養寺 (安養寺・一枚目)」、「東山之部 五 円山安養寺 (安養寺・二枚目)」、「東山之部 五 円山安養寺 (安養寺)解説
    円山安養寺 (安養寺・一枚目)(拡大図)

    [円山安養寺・門前
    小謡や真葛が原のはるの月・太計彦
    東山ノ楓老イ紫嵐饒シ秋後ノ幽攀寂寥ヲ破ル咲テ問フ同人ノ旧吟履多福ニ過グ可キヤ端寮ニ過ギンヤ・中嶋規]
    円山安養寺 (安養寺・二枚目)(拡大図)

    [其二・吉水弁天社・阿弥陀堂
    景樹・よし水の清水のもとにけふは来て秋をあきとも思ひける哉
    当山各坊の宴席及庭池の光景は、林泉名所図会に委しく載たれば、此には堂社をのみ写せり。覧者よろしく察し給へ]

    国立国会図書館デジタル化資料 – 浪花百景付都名所」 – 「都名所之内 円山安養寺夜景

    安養寺 – Google Map 画像リンク」「大聖歓喜天尊 – Google Map 画像リンク

    カメラ東北東方向が吉水大辨財天堂です。

    円山安養寺本堂前のカメラです。