将軍塚

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    将軍塚
    [桓武天皇は都を奈良から京都の南方、長岡京に移されましたが、いろいろと事故が続きました。この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。天皇はその勧めに従って延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。天皇は、都の鎮護のために、高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記太平記に残されております。また、延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。将軍塚は、「強者どもが夢の跡」でもあります。乃木希典東郷平八郎菊池大麓大隈重信 等の明治の元薫のお手植の松が植えられた、石柱や石碑が後継の松と共に残され、偉人達がこの地から京都の町を見下して、豊かな日本の将来に思いを馳せたことが偲ばれる由緒ある場所です。  (「将軍塚について | 天台宗 青蓮院門跡」より)]

    [将軍塚大日堂-寺の南東、東山の山頂に位置し、青蓮院の飛び地境内となっている。
    大護摩堂「青龍殿」 – 2014年(平成26年)10月建立。国宝「青不動」が祀られている。もとは1913年(大正2年)、北野天満宮境内に建てられた大日本武徳会京都支部武徳殿である。太平洋戦争後、1947年(昭和22年)から京都府警察の武道場「平安道場」として1998年(平成10年)まで使用され、後に当地に大護摩堂「青龍殿」として移築された。2014年(平成26年)10月4日に半田孝淳天台座主を大導師として青龍殿落慶青不動明王開眼法要が行われた。これに併せて10月8日から12月23日まで、国宝青不動明王の開帳と、青龍殿の一般公開が行われた。
    大舞台 – もともと展望台があったが、青龍殿が建立された際に整備され、新しく巨大な舞台が建てられた。清水寺の舞台の4.6倍の広さがあり、京都盆地を一望できる名所である。
    青龍殿庭園 – 回遊式庭園に枯山水庭園を取り込んだ庭園には、桜約200本や紅葉約220本などが植林され、春・秋には夜間拝観が実施される。東郷平八郎元帥、黒木為楨大将、大隈重信、菊地大雪等のお手植えの松がある。
    将軍塚 – 桓武天皇が平城京遷都にあたり、王城鎮護のためここに将軍の像を埋めて塚とした。
    西展望台
    大日堂
    福徳門
    国宝
    絹本著色不動明王ニ童子像 – 「青不動」と通称される平安時代後期の仏画。奈良国立博物館に寄託されていたが、2014年(平成26年)10月に飛地境内の将軍塚に大護摩堂「青龍殿」が完成し、同所にて10月から12月まで開帳された。園城寺(三井寺)の「黄不動」、高野山明王院の「赤不動」とともに三不動といわれている。現在、青龍殿に祀られているものは複製品であり、国宝本体は青龍殿奥殿に安置されている。

      (wikipedia・青蓮院より)]

    京都 桜撮影記④(将軍塚へ) – みんカラ – Carview

    将軍塚 – Google Map 画像リンク」、「将軍塚 大日堂 – Google Map 画像リンク」、「将軍塚青龍殿 大舞台 – Google Map 画像リンク

    カメラ北北西方向が青蓮院の飛地境内である将軍塚大日堂山門で、境内に将軍塚があります。

    カメラ北方向が将軍塚大日堂です。

    カメラ位置は大舞台で、カメラ南方向が青龍殿です。

    将軍塚西展望台夜景のカメラです。

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