延仁寺(親鸞聖人御荼毘所)

マーカーは延仁寺です。

延仁寺
[延仁寺(えんにんじ)は、京都市東山区にある真宗大谷派の寺院。大谷派では、宗祖親鸞の荼毘所とする。本尊は、大谷派寺院としては珍しく舟型光背阿弥陀如来立像で、阿弥陀三尊形式で安置される。
沿革
寺伝では、天台宗の宗祖最澄が開基であるとされている。本願寺第三世覚如が著した『本願寺聖人伝絵』(『御伝鈔』)に、「鳥部野(とりべの)の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」と記されているように、浄土真宗の宗祖・親鸞の遺体を、荼毘(火葬)に付した寺院である。後に戦乱などの影響で廃寺となる。
当初は「西光寺」と称していたが、明治16年(1883年)に「延仁寺」と改称し、東本願寺第二十一代 嚴如(大谷光勝)により「荼毘所」を寄与される。
親鸞の荼毘所
延仁寺の道路の向かい地蔵堂の脇に「親鸞聖人御荼毘所」の碑が、隣接する延仁寺墓地の脇の「見真大師御荼毘所道」を登っていくと、「見真大師御荼毘所」の碑と親鸞の石像が祀られている。
なお、浄土真宗本願寺派の寺伝では、現在の大谷本廟(西大谷)に隣接する地に「延仁寺」があったとされており、大谷本廟の飛び地境内には、同派により「親鸞聖人荼毘所」の碑が祀られている。  (wikipedia・延仁寺より)]

親鸞聖人御荼毘所
[浄土真宗を開いた親鸞は、弘長2年(1262)11月28日に三条富小路の善法坊で死去し,その翌日には延仁寺で荼毘に付された。その後,荒廃するが,慶応元年(1865)に西光寺として再興され,明治16年(1883)に延仁寺と改め,現在にいたっている。この石標は,延仁寺が親鸞を荼毘に付した由緒を有す寺であることを示している。
所在地 東山区今熊野総山町(延仁寺前)
位置座標 北緯34度58分57.7秒/東経135度47分01.8秒(世界測地系)
建立年 2001年
建立者
寸 法 高173×幅24×奥行24cm
碑 文
[西]
親鸞聖人御荼毘所
[北]
それがし親鸞閉眼せば
賀茂河に入れて魚に与うべし
改邪鈔
[南]
真宗大谷派延仁寺
[東]
平成十三年春建立
調 査 2004年3月2日  (「HI129 親鸞聖人御荼毘所 – 京都市」より)]

カメラ西南西方向が延仁寺山門で、カメラ南南東方向に親鸞聖人御荼毘所碑があります。

カメラ南東方向が親鸞聖人御荼毘所碑です。