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恵美須神社
[事代主神(ことしろぬしかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主神を祀る。社伝によれば、建久2年(1191)、栄西禅師が宋(中国)よりの帰途、舟が暴風雨に遭い遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、その加護により難を免れたといわれ、建仁2年(1202)、建仁寺創建に当たり、境内に恵美須神を祀り、建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、今もなお当地の産土神(うぶすながみ)として人々の崇敬を受けている。境内の岩本社には、平安時代の歌人在原業平(ありわらのなりひら)を祀っている。また、財布塚・名刺塚は、古くなった財布や名刺の供養のため築かれたものである。毎年1月10日を中心として前後5日間行われる「十日ゑびす」の大祭には、全国各地から商売繁昌・家運隆昌・交通安全を祈願するため多くの人が参詣する。 (「京都観光Navi:恵美須神社」より)]
[京都市東山区に位置する京都ゑびす神社。すぐそばにある禅寺・建仁寺建立にあたり鎮守として建てられたのが起源。全国に広がるえびす信仰にまつわる神社の中でも、大阪府の今宮戎神社、兵庫県の西宮神社、と並んで”日本三大えびす”に数えられている。
毎年1月8~12日には十日ゑびす大祭が開催されます。商売繁昌・家運隆昌を祈願しに多くの人が京都ゑびす神社を訪れ大変賑わいます。縁起物である人気笠や福熊手の授与が行われる中、やはり一番人気なのが福笹(吉兆笹)3000円。この福笹に絵馬や福銭などの縁起物を福娘にいくつか結びつけてもらうのが一般的となっている。
京都ゑびす神社の巫女さん曰く、前年の福笹と縁起物は、福笹のみを納札所に納め、縁起物については外しておいて、新しい福笹に結び付けて良いとのこと。
1月8日と9日には東映太秦映画村の女優さんが宝恵かご(ほえかご)に乗り、役者さんたちの「商売繁昌でささもってこい」の軽快なえびす囃子とともに参拝に訪れる。
また1月10日には東映女優さんによる福笹授与。1月11日には祇園甲部と宮川町の舞妓による福笹授与も行われる。
1月9~11日には四条通を下った大和大路に多くの露店が並び、大変な賑わいをみせる。 (「京都ゑびす神社 十日ゑびす」より)]
恵美須神社資料リンク
「年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「夏越祓之図」(6-35)
[大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。 (wikipedia・大祓より)]
「都林泉名勝図会」・巻之一 建仁寺(一枚目)[図会解釈お勧めサイト]
「佛教大学図書館所蔵・貴重書等のデジタルアーカイブ集」 – 「一般公開コレクション – 都名所百景 – 建仁寺町蛭子社」
恵美須神社一の鳥居前のカメラです。
恵美須神社二の鳥居前のカメラです。
恵美須神社本殿北側の360citiesで、西方向に八幡宮、北方向に天満宮があります。
カメラ東方向が西門です。