明保野亭跡碑

マーカーは明保野亭跡碑です。

明保野亭跡
[明保野亭は,幕末に志士たちの密議の場となった料亭であった。元治元(1864)年6月10日,池田屋事変の残党狩で探索中の会津藩士と新選組は,明保野亭に不審者を認め槍で刺して捕えた(明保野亭事件)。それが土佐藩士麻田時太郎であったため,公武合体に尽くす会津・土佐両藩の関係悪化を怖れ,刺した会津藩士柴司と麻田の両名は共に自刃した。この石標は明保野亭の跡を示すものである。ただし,明保野亭の旧地は,この石標よりやや北東である。  (「HI018 明保野亭跡 – 京都市」より)]

[明保野亭事件の舞台となった明保野亭は当時、他にも多く見られた様に料亭と旅宿を兼ねており、倒幕の志士による密議にも多く利用されていたことが事件の背景にあったと考えられる。また、土佐の坂本龍馬の常宿の1つといわれている。なお、明保野亭は現在も東山区清水三年坂(産寧坂)に石碑とともに店舗が現存するが、当時は現在よりもやや北東位置にあったとされている。  (wikipedia・明保野亭事件より)]

カメラ北東方向に明保野亭跡碑(HI018 明保野亭跡 – 京都市)があります。

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