粟田口石標

マーカーは粟田口石標です。

粟田口石標
[東山区神宮道通三条下る東側(粟田小学校前)
粟田口は,三条通白川橋以東,蹴上附近までの地名。平安遷都以前から粟田郷と呼ばれ粟田氏が本拠としていた。遷都後は,東海東山北陸三道から京都への入口として交通の要衝となった。京の七口の一つで,三条口・三条橋口・大津口ともいわれた。近世には,東海道五十三次の終点近くとして賑わった。平安末期以来この附近には刀鍛冶が住み,また陶磁器粟田焼の産地として知られた。この石標は粟田口を示すものである。  (「HI016 粟田口 – 京都市」より)]

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰]」・「粟田口十禅師辻」(1-16)

[粟田口十禅師辻の故事
著門集に云
一條院の御時御秘蔵の鷹ありけるめんゝゝとりかひけれども凡て鳥は取ざりければ 鷹を粟田口十禅師の辻に繋ぎて もし自ら人の云事を聞よとて 人を付られたりけるにひたゝれ上下に編笠着たる上り人 馬よりをりて此鷹を見て云あはれ逸物也 但し未だ鳥は取らじといひて過る者あり即此人をめして鳥かはせけるに 南殿の池に魚集り浮びたりけるに 鷹はやりければ あはせて大成鯉を取たりける 夫より鳥も取たりける也 帝其故を問せたまへば 答曰 此鷹はみさご腹の鷹也 先母のふるまいをして後 父の芸を仕るものに候と申せば 叡感ありて信濃国に田園を賜りける 権梗豊平これなり  (「伊勢参宮名所図会」より)]

カメラ東北東方向に粟田口を示す石標があります。

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