若宮八幡宮社

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若宮八幡宮社
[若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。陶器神社とも呼ばれる。旧社格郷社応神天皇仲哀天皇神功皇后八幡三神)を主祭神とし、左相殿仲恭天皇、右相殿に椎根津彦大神(陶祖神)を配祀する。
天喜元年(1053年)、後冷泉天皇勅願により源頼義が左女牛(さめうし)西洞院にあった自邸内のの隅に造営された石清水八幡宮の若宮(新宮)であったために左女牛八幡宮と称され、また左女牛通の北を六条大路が走り、頼義邸はその間に位置したために六条左女牛若宮や六条八幡宮とも称され、毎年8月に放生会を行う例とされたが、その後保延6年(1140年)正月に石清水八幡宮が火災によって社殿焼失に遭った際には左女牛の若宮に遷座したとの夢告ありと京中の道俗男女の参詣が盛んとなったという。爾来源氏氏神として同氏からの崇敬を受け、源頼朝大江広元の弟の季厳阿闍梨別当職に任じ、文治元年(1186年)12月には土佐国吾川郡の地を寄進建久元年(1190年)と同6年に上洛の際には石清水八幡宮と唯2社のみの社参を行い、以後鎌倉時代を通して将軍家代々の社参が恒例とされたり、武家尊崇の大社として地方的にも篤い崇敬を受けた。
室町時代になっても足利尊氏は7種の神宝や社領知行安堵状足利義政は51ヶ所の地所を奉納したり、足利将軍家から三条坊門の御所八幡宮社と並んで代々の社参が行われるなど石清水八幡宮に次ぐ室町幕府の宗祀と崇められ、その結構は京中では祇園(八坂神社)、北野(北野天満宮)に次ぐ規模であったが、応仁の乱の兵火に罹って社殿を焼失するなど荒廃し、足利義輝及び足利義昭の発起により諸国の武家に寄付を募って再建されたものの昔日の規模には至らなかった。
ほか織田信長大内義隆毛利氏三家、細川氏三好氏朝倉氏などより神地、神馬、太刀等を奉納される。
天正12年(1584年)、羽柴秀吉による京都改造により御旅所のあった東山に移されて旧地は本願寺の寺域とされ、同16年には方広寺の北に、秀吉薨後の慶長2年(1597年)6月には現社地に三遷された。元和元年(1615年)、徳川家康より社領73石8斗余を寄進され、同3年に後水尾天皇命で社殿造営、承応3年(1654年)にも後光明天皇が父後水尾上皇の考えにより社殿を造営している(現本殿)。
明治10年(1877年)、宮内省によって伏見街道十六町(現東山区本町十六丁目)の円丘上にあった塚本社から仲恭天皇の神霊奉遷され、同24年に陶祖神として椎根津彦大神を合祀。戦後は神社本教に参加し、その本部が置かれている。
若宮八幡宮社参道・wikipedia-photo

本殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・若宮八幡宮社より)]

若宮八幡宮社ホームページ

都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 若宮八幡」、「巻之二 平安城再刻 若宮八幡解説
若宮八幡(拡大図)

花洛名勝図会」・「東山之部 七 若宮八幡宮」、「東山之部 七 若宮八幡宮解説

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カメラ北東方向が若宮八幡宮社参道です。

若宮八幡宮社拝殿前のカメラです。