近藤悠三記念館

マーカーは近藤悠三記念館です。

近藤悠三記念館
[陶磁器染付の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、わが国の陶芸界に大きな足跡を残した近藤悠三(本名・雄三)は、明治三十五年に清水寺門前(当記念館のある場所)の家に生まれました。
十二歳で、ロクロ技術を習得するため陶磁器試験場付属伝修場に入所した近藤悠三は、そこで河井寛次郎氏や浜田庄司氏と出会い、また十九歳からの三年間、富本憲吉先生の助手となって修業を重ねました。
二十二歳で独立した近藤悠三が、母親の助力を得て仕事場を設けたのもこの場所です。その仕事場でひたすら想を練り技を磨きながら、近藤悠三は陶磁器染付の最高峰と称されるまでに、みずからの作境を高めていったのです。
人の思想や人格の形成は、環境に負うところが大きいとされます。
お訪ね下さった皆様が、当記念館や展示作品を通して、近藤悠三の人となりや、芸術に対するご理解を深めていただければ幸いです。
(展示物は年に2度変更しております)
休館日:水曜日
 入館料:1,000円(お飲み物付き)
 開館時間:11:00~18:00
※2018年1月に正式リニューアルオープンしました。
交通案内
・JR京都駅より 市バス206番 東山五条坂下車
・京阪五条駅より 徒歩15分
・四条河原町より 市バス高島屋百貨店北側より16・207番
         東山五条坂下車  (「記念館のご紹介 – 近藤悠三記念館」より)]

近藤悠三
[近藤 悠三(こんどう ゆうぞう、1902年2月8日 – 1985年2月25日)は日本の陶芸家。1977年に人間国宝に認定。本名は近藤雄三。染付の悠三で知られる。
陶芸家・近藤豊(1932年 – 1983年)は長男、陶芸家・近藤濶(ひろし)は次男、陶芸家・美術家の近藤高弘は孫にあたる。俳優の近藤正臣は親戚。幕末尊攘運動家近藤正慎は祖父。
略歴
京都市清水寺下出身。父・正平、母・千鶴の三男として生まれる。祖父である正慎は清水寺の寺侍であった。
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。1917年に卒業後、同試験場で助手として勤務する。当時、河井寛次郎と濱田庄司が東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、悠三は濱田から窯業科学などを学んだ。
1921年に陶磁器試験場を辞め、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事。素地や釉薬などの技法だけでなく、制作に対する心構えについても指導を受けている。
1924年京都に戻った後、関西美術院洋画研究所でデッサンや洋画の研究をする傍ら、清水新道石段下に窯を構え制作を始める。この頃は染付の他に、釉裏紅や象嵌等の技法も用いた作品を発表していた。
1926年、24歳で中島光子と結婚。
1928年の第9回帝展で初入選を果たし、以後13回連続で入選する。他、文展などで多くの作品を発表。1950年には第6回日展で審査員を務めた。1955年に日本工芸会に所属。1956年、「山水染付壺」が第3回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。
1956年には岐阜県多治見市にて志野焼の研究をしている。以降は染付の制作に専念した。つけたてとぼかしを基調とした筆遣いによって濃淡を表し、ザクロや梅などをモチーフとして絵画的な表現をなした。さらに1960年以降、呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり、さらに独特の作風を確立した。
日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任。1953年、京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)陶磁器科助教授、1956年、同大学教授。1965年10月には学長に就任した。
1970年に紫綬褒章、1973年には勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章を受章。1977年4月25日、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定された。1980年、紺綬褒章受章。
1985年逝去。「自分は、し残したことがあるので、生まれ変わっても、陶芸家として生まれてくる」と生前語っていた。  (wikipedia・近藤悠三より)]

近藤悠三記念館 ミュージアムバー柳水 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が近藤悠三記念館です。