青龍寺

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青龍寺
[青龍寺(せいりゅうじ)は、京都市東山のふもと、高台寺の山門前、清水寺から八坂神社に通じる観光ルートの一角にある浄土宗の寺で、洛陽三十三所観音霊場第九番である。山号は見性山。本尊聖観音菩薩。霊山道に面して(法観寺・八坂の塔の北側)北向き簡素な寺門。くぐり戸を入ると、左手に西面して本堂がある。
当寺は、桓武天皇命によって長岡京近郊に創建され、平安遷都により現在地に移された。昔から「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は、本堂正面に安置されており、身の丈約1メートル、細身の優雅な立ち姿である。寺伝によると、徳宗皇帝から献上された伽羅木を、桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて彫刻された。
本堂前の小さな庭に、長さ1メートル、幅50センチほどの石が据えられている。法然の門弟・見仏が後白河天皇追善回願のため、法然を招いて六時礼讃を勤めたとき、同じく門弟の住蓮安楽が鐘の代わりに叩いたという念仏石で、隕石との言い伝えもあり、名物となっている。大小二つあって、小さい方は本堂内に保存されており、打つとカーンと金属性の音がする。また、境内墓地には、勤王の志士・近藤正慎(義重)の墓がある。
青龍寺山門

  (wikipedia・青龍寺_(京都市東山区)より)]

法然上人御遺跡青龍寺
[青龍寺はもとの寺名を大宝寺といい,桓武天皇の命で最澄が伽羅の霊木を彫ったと伝える本尊聖観音像で名高く,伽羅観音の通称で信仰を集めた。洛陽三十三所観音霊場の9番目となる。のち衰退していたところを法然の弟子見仏(大和前司藤原親盛)が再建し,引導寺と改称した。その寺で見仏は,法然の弟子の安楽・住蓮らと共に六時礼讃を修した。六時礼讃は,一昼夜を六分したものを六時といい,それぞれ六時に仏を拝して懺悔すべきことを説いたもので,法然の弟子が六時礼讃の節づけをした。中世には再び荒廃し,寛永年間(1624~44)知恩院の住職が青龍寺と改めた。境内には鐘の代わりにたたいたという念仏石がある。この石標は青龍寺を示すものである。
所在地 東山区八坂上町(青龍寺前)
位置座標 北緯34度59分57.3秒/東経135度46分44.7秒(世界測地系)
建立年 1978年
建立者
寸 法 高131×幅22×奥行21cm
碑 文
[北]
法然上人御遺跡
青龍寺
六時礼讃根源之地
[南]
昭和五十三年六月吉日
調 査 2002年10月9日  (「HI082 法然上人御遺跡青龍寺 – 京都市」より)]

青龍寺 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が青龍寺山門で、山門石段右前に法然上人御遺跡青龍寺碑があります。

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