養源院(血天井・宗達寺)

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    養源院(血天井・宗達寺)
    [養源院(ようげんいん)は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院。蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する。養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建。その後、元和5年(1619年)、火災により焼失する。元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川家の菩提所となった。
    山門・wikipedia-photo

    参道・wikipedia-photo

    建造物
    ●本堂
    本堂は、元和5年(1619年)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。
    ●血天井
    関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同じ血天井は宝泉院正伝寺源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。崇源院の秀吉への憎しみを表しているといわれる。
    ●鶯張廊下
    日光東照宮眠り猫で有名な江戸時代初期の大工・彫刻師である左甚五郎が造ったものと伝わる。
    ●襖絵と杉戸絵
    俵屋宗達作の(重要文化財)があり、これも伏見城で自刃した将兵の霊を供養するために描かれたものと伝えられており、杉戸の象や唐獅子や麒麟などを図案化した構図は、表現の奇抜さでも知られている。2010年、この唐獅子図の隣りに、江戸時代よりたった一軒続いてきた唐紙屋となる唐長の唐紙師トトアキヒコによる「星に願いを」が奉納された。またトトは、俵屋宗達の重要文化財である金地着色松図の唐紙修復も手がけている。
    俵屋宗達《松図襖》17世紀初め(襖12面のうち東側4面)

       
      (wikipdia・養源院より)]

    養源院ホームページ

    2015年02月の記事 | うさぎのブログ」、「2013 桜 養源院の枝垂れ桜: 京都を歩くアルバム」、「養源院 桜 京都

    養源院資料リンク
    都林泉名勝図会」・巻之三 養源院(一枚目)巻之三 養源院(二枚目)巻之三 養源院解説

    養源院 Google Map 画像リンク

    カメラ東方向が養源院山門です。

    養源院参道・毘沙門堂前のストリートビューです。

    養源院玄関前のストリートビューで、カメラ北北西方向に手水舎、南方向に鐘楼があります。

    カメラ東方向が護摩堂、南方向が地蔵堂、西方向が鐘楼です。

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