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上桂御霊神社
[太田神、伊予親王を祀る。
往古山城国、葛野郡上桂村を開拓した人々が、太田神を祀って。五穀豊穣を祈ったのが、当社の起源である。平安時代に、御霊信仰が起こり、室町時代には、疫病除けの神徳により各地に祭神を勧請するに至って、当社もまた、伊予親王を合祀し、御霊神社と、称するに至ったものと思われる。
古来、上桂の鎮守神として、村民の崇敬篤く、文亀2年には、七百余坪の社地の中、三畝の、御供田も所有していた事が、古文書で知られる。 (「ちょっと違う風景 御霊神社(上桂)」より)]
上桂御霊神社のクスノキ
[神社の森は鎮守の森として地域の人々に親しまれており,このクスノキはその象徴的な存在となっています。樹齢130年といわれ元気良く育っています。 (「上桂御霊神社のクスノキ/京都市 建設局 緑政課」より)]
伊予親王
[伊予親王(いよしんのう、延暦2年(783年)? – 大同2年11月12日(807年12月14日))は、平安時代初期の皇族。桓武天皇の第三皇子(異説あり)。官位は三品・中務卿、贈一品。
大同元年(806年)中務卿兼大宰帥に任ぜられる。しかし、翌大同2年(807年)反逆の首謀者であるとして母・藤原吉子とともに川原寺(弘福寺)に幽閉され、絶食した後毒を飲んで自害した。異母兄平城天皇の側近であった藤原式家・藤原仲成に操られた藤原宗成に失脚させられたものとされる(伊予親王の変)。後に親王の無実が判明し、承和6年(839年)に一品が追贈された。 (wikipedia・伊予親王より)]
「御霊神社 (上桂御霊神社) – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向が上桂御霊神社参道です。
上桂御霊神社拝殿前のカメラです。