会津藩松平(保科)家岡崎屋敷・調練場

マーカーは会津藩松平(保科)家岡崎屋敷・練兵場(明治天皇行幸所牧畜場阯碑)です。

会津藩松平(保科)家岡崎屋敷・練兵場
[明治 12 年(1879)に作られた京都府区組分細図には、東丸太丁の突き当たり熊野神社が描かれ、その奥に聖護院、下岡崎、そして若王子と連なり、その間は畦道が描かれている。そして熊野神社の北側には明治 5 年(1872)に開場された京都牧畜場が見える。明治天皇は、明治 10 年(1877)に行われた関西行幸の際に訪れている。荒神橋の東詰に建つ京都大学東南アジア研究センタ-に石碑が残されている。この地は、文久 4 年(1864)に会津藩の城東調練場になり、藩兵の洋式調練が行われている。鳥羽伏見の戦の後は軍務官の調練場となり、官軍の東征に従う在京 40 藩諸藩兵の洋式調練が行われる。  (「聖護院・岡崎の町並み – 徘徊の記憶」より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(成立西暦・1868年)」(絵図中央右、鴨川右に御操練場が描かれています。)

京都府区組分細図 – 国際日本文化研究センター – 京都府区組分細図(内容年代-明治12(1879)年)」(絵図四つ切左上・鴨川上に「仮牧畜場」と記述されています。)

カメラ南東方向鉄柵の向こうに明治天皇行幸所牧畜場阯碑があります。