四條畷神社

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四條畷神社
[四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁別表神社建武中興十五社の一社。大阪みどりの百選に選ばれている。
南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷市民や隣接する大東市民の間では単に「楠公さん」といえば正行や当社を指す場合が多い。1975年(昭和50年)には「楠公」という町名まで誕生し、他にも周辺に楠公と付く地名が複数誕生している。
境内やその周辺には桜が多く植えられており、春は多くの花見客でにぎわう。
正平3年(1348年)1月、この地で四條畷の戦いが行われ、高師直師泰兄弟が率いる北朝軍に南朝軍は敗北し、楠木正行、正時兄弟が自害したのを始め、多くの楠木一族が戦死した。その後、正行が自害した河内国讃良郡南野村字雁屋に「楠塚」と呼ばれる正行の墓が作られ、ひっそりと菩提が弔われた。
しかし、明治時代になると明治政府によって南朝が正統とされ、正行の父である楠木正成が大楠公(だいなんこう)として神格化されると、その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とした嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と呼ばれ、崇められるようになった。それに伴い、1878年(明治11年)に楠塚は「小楠公御墓所」と改められて整備され、その規模が拡大された。
同じ頃、南野村飯盛山の山麓にある住吉平田神社の神職らが中心となり、楠木氏らを祀る神社の創建を政府に願い出た結果、1889年(明治22年)12月16日に神社創立と別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許され、翌1890年(明治23年)に住吉平田神社の南隣の地に創建された。
拝殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・四條畷神社より)]

河内名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [著] ; 丹羽桃渓 画 – 早稲田大学」 – 「四條縄手合戦楠木正行討死(5巻23)

四條畷神社参道鳥居前のカメラです。

四條畷神社境内鳥居内のカメラです。

四條畷神社拝殿前のカメラです。