春岳院

マーカーは春岳院です。

春岳院
[大納言豊臣秀長菩提寺 「春岳院」、はじめ東光院と号していたが、当時箕山にあった豊臣秀長の菩提寺である大光院が、豊臣家滅亡後京都に移築されたので、東光院が秀長の位牌を託され大納言塚の管理を任された。春岳院には古文書とともに秀長時代に箱元制度で実際に使用されたご朱印箱もある。秀長の法名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」から春岳をもって、東光院を春岳院に改め、秀長の位牌所菩提寺として今日に及んでいる。
玩本堂は桁行3間、梁問3問、寄棟造向拝1問、切妻造、本瓦葺正徳5年(1715)に再建されたもの。春岳院蔵の「御朱印箱及同文書」は「秀長画像」と共に市指定文化財となっている。また、境内の七重石塔は、聖武天皇の造立との伝承もあるが、鎌倉室町時代の石造品を寄せ集めたものとされている。  (「郡山城址・春岳院 – 邪馬台国大研究」より)]

[文禄3年(1594)に没した僧・重勢が開いた寺院であるという。郡山の城下町に寺域をもつ町寺である。もとは、東光院と号した。
郡山城主の豊臣秀長が天正19年(1591)に没した跡、豊臣秀吉は城の南にある芦ヶ池付近に大光院を建立し、京都大徳寺古渓和尚を住まわせて秀長の菩提を弔わせたが、豊臣家滅亡後、大光院藤堂高虎によって大徳寺塔頭として京都へ移された。
このとき秀長の位牌を託された春岳院は大納言秀長の位牌菩提寺として町衆の崇敬を受けることになった。
春岳院の寺号は、秀長の戒名である「大光院殿前亜相春岳院紹栄大居士」に因むものである。
寺宝の御朱印箱と御朱印文書は、秀長が創始した城下町の箱本制度(城下の各町が伝馬や防災の責任を輪番で負う自治制度)に用いられたものである。  (「春岳院 : あおによし」より)]

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カメラ北北西方向が春岳院山門です。

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