大坂城大手門前広場

マーカーは大坂城大手門前広場です。

大坂城大手門前広場
[江戸時代大坂の人々は、大坂城を錦城、城の追手門(大手門)前の広場を馬場と呼んでいました。
 豊臣政権本城の壮麗な大坂城は大坂夏の陣で落城し、戦火によって焼失。続く徳川幕府は威光を示すように、面積こそ豊臣時代には及ばないものの天守や石垣の高さで秀吉大坂城をしのぐ城を天下普請で新たに修築しました。徳川大坂城は幕府の強大な権威を印象付け、錦城または金城と美称されました。
 立春を過ぎた初午の日は商家が勧進した稲荷社祭礼の日で、商売繁盛を願う大坂の人にとってもなじみが深いものでした。この日、城の西側、大手門前の芝生が広がる馬場が開放され、大人から子どもまで大勢の人が凧揚げや行楽に訪れ、紙張りの囲いばかりのシンプルな茶店がいくつも出てにぎわったといわれます。大きな日傘の付いた茶店は「傘の下」と呼ばれていました。
 明治初年まで、生玉表門前に馬場先の地名が残っていました。ちなみに大阪城の南西、以前NHK大阪放送局のあったところ(馬場町角)やKKRホテル大阪の住所は現在も馬場町(ばんばちょう)です。  (「今週の今昔館(140) 錦城の馬場 20181204」より)]

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を右端迄スクロールすると、大和川合流点に京橋、その下に大阪城が描かれ、大阪城左に追手口と記述されています。

歌川國員/画 錦城の馬場(wikipedia-photo)

大阪城公園MAP(「大阪城公園ホームページ公園MAP」より)]

    
大坂城大手門前広場のカメラで、カメラ東方向が大坂城大手門です。