姥が餅(矢倉立場・旧東海道 矢倉道標)

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    姥が餅
    [姥が餅(うばがもち)は滋賀県草津市で製造販売されている和菓子。あんころ餅の一種で、草津宿の茶屋で出され、現在は国道1号沿いに本店を置く。乳房を型どっているのが特徴。
    姥が餅は永禄年間(1558年-1570年)、織田信長によって滅ぼされた佐々木家義賢の曾孫が「福井との」という乳母に預けられた際、曾孫の養育のため乳母が東海道沿いに餅屋を開き、餅を売ったのが起源とされる。
    やがて評判が広がり乳母が作った餅を「姥が餅」と呼ばれ草津宿の名物となった。
    数年経て1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が当時84歳となった乳母の餅を献上され、『養老亭』と書いた3字の額を送った。
    松尾芭蕉与謝蕪村をはじめ多くの著名人が姥が餅の茶屋に寄り、作品や文学の題材になった。
    草津宿にある姥が餠の茶屋・歌川広重『東海道五十三次 草津宿』

    姥が餠のロゴ

      (wikipedia・姥が餅より)]

    『東海道五十三次(狂歌入東海道)草津』 「たのしみの 日数かさねて 春雨に めぐむ草津の 旅の道芝 芝口屋丘住」 (Wikimedia Commons)

    東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「姥が餅」(2巻 – 30)

    伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「姥が餅」(2巻 – 8)

    [乳母が餅(ウバガモチ)
     むかし近江元治の正統・佐々木左京太夫義賢といへるは、永禄十二年九月信長に亡されぬ。其子孫尚のこりて、寛永の頃まで郷代官のごときものにて、ありしが事によりて、誅滅せらる其時、幼児三歳なる者あり。最期に臨んで其乳母を膝下にまねき、此子をひそかにろくし育よと頼み、貞宗の刀とともに、附属しぬ乳母きゝにおひて、其子を抱き背戸の藪より切ぬけて、身を潜むる事月有されば、養育のたよりなければ、餅を制して往還の道に持出、大名高家の乗物などにすがり、懐きたる子はよしある子なり。其養ぐさにとて、打なげきければ、自らは信実を感じて、これを買人多く後、遂に小店を開きければ、是を求る往来の例と成て、乳母が餅とぞもてはやしける。
    さて、幼児は十二三才の頃、学文のために山門に入らしむ。長ずるに及んで京師豪家其子を僧に乞ひて、産業をおしへ、呉服店を開き、近江屋某と号て、男子二人有、一人を丸亀の京極家・佐々木同流の由縁を以て、仕官せしめ、一人は商ひ相続させて後に死す。其子の時に産を失ひ、大坂へ下り、佐々木某とて医術を行ひける。其時尚貞宗の刀は持伝へしとぞ聞ける。
     乳母が家は代々続きて、増々栄ふる事、是全く乳母が忠志よりなす所なれば、是ぞ感涙甘露の味に勝りて、賞翫浅からざるものなりし。  (「伊勢参宮名所図会」より)]

    矢倉立場 
    (道標「右やばせ道 是より廿五丁 大津へ船渡し」)
    東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿の南に続く矢倉村。 立場とは宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことから付いた名で、 矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。この地にそのうばがもちがあり歌川広重の浮世絵や「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」などに旅人が立ち寄って、うばが餅を賞味する光景が描かれている。また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る 「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が今も軒先に建っている。旅人は俗謡に「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、 旅人の多くはここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て 矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。そしてこの地と矢橋の渡し、瀬田橋はよく使われる俚言(世間でよく使われる言葉)で 「急がば回れ」の語源になった所でもある。(武士のやばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋(「醒睡笑」)と詠まれ、近道であっても湖上が荒れて舟が出なかったり、 風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより 回り道でも瀬田橋まわりのほうが着実であることから、 成果を急ぐなら遠回りでも 着実な方法を取るほうが良いことを指南したものである。(案内板)  (「東海道(33)エンディングロード下見01 瀬田の唐橋 – TEIONE …」より)]

    国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号16/26)
    絵図東海道左端下に「うぶかちゃや」、上に「やばせヘノ路」と記述されています。

      
    姥が餅本店ホームページ

    うばがもちや 本店 – 草津/甘味処 | 食べログ

    旧東海道 矢倉道標 Google Map 画像リンク」「うばがもちや 本店 – Google Map 画像リンク

    カメラ北北西方向が姥が餅があった場所で、現在は「瓢泉堂」となっています。カメラ方向左に姥が餠の茶屋・歌川広重『東海道五十三次 草津宿』の浮世絵と矢倉立場の案内看板、右に旧東海道 矢倉道標があります。

    カメラ西方向が現在の姥が餅本店です。