マーカーは長安寺です。
長安寺
[松月山長安寺は滋賀県大津市逢坂2丁目に境内を構えている時宗の寺院です。長安寺の前身である関寺の創建は不詳ですが平安時代当時、日本三大仏の1つに数えられた関寺大仏が建立されるなど広く知られた大寺院だったと伝えられています。平安時代の歌人、小野小町が晩年庵を設けたところとされ謡曲「関寺小町」の舞台にもなっています。
天延4年(976)の大地震で堂宇が倒壊し、万寿4年(1027)に延鏡(源信の高弟)や仏師康尚等の尽力により再興、その復興に手をかした仏が牛に姿を変え多くの資材の運搬し、完成を見届けてから安らかに死んだことから、その牛を供養する為に鎌倉時代初期に牛塔が建立されました。牛塔は関寺の荒廃と共に土中に埋もれていましたが元禄元年(1688)に掘り出され再び境内に建立されました。牛塔は総高3.55m、巨大なつぼ型の塔身に笠石を載せたもので日本を代表する石造宝塔として大変貴重な事から昭和35年(1960)に国指定重要文化財に指定されています。その後、関寺は衰退しましたが一遍上人が中興、慶長年間(1596~1615)に焼失後は衰微し明治時代に入り長安寺として再興しています。
百体地蔵は元亀2年(1572)に織田信長による比叡山延暦寺全山焼き討ちの兵火により埋もれた石仏を昭和35年(1960)に長安寺境内に集めて供養したもので歴史が感じられます。境内にはその他にも小野小町供養塔、一遍上人供養塔、超一房(一遍上人の妻)供養塔などが建立されています。長安寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行2間、張間1間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面花頭窓付。山号:松月山。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。 (「大津市: 長安寺 – 滋賀県:歴史・観光・見所」より)]
[岩波書店の『広辞苑』は「三大仏」の項に以下の2説を併記している。
●奈良の東大寺、河内の太平寺(知識寺)、近江の関寺の大仏
●奈良の東大寺、鎌倉の高徳院、京都の方広寺の大仏 (wikipedia・日本三大仏より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「逢坂山 関寺小町」(1巻 – 23)、「近松御坊 世喜寺(関寺) 牛塔」(1巻 – 32)
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰] 」・「長安寺 関寺 関清水 蝉丸社」(1巻 – 32)、「関寺小町」(1巻 – 34)、「関寺長安寺説明・右ページ中程より」(1巻 – 35)、「関寺 牛佛」(1巻 – 36)
[関寺 牛仏
栄花物語 岑(ミネ)の月の巻万壽二年五月に曰「此頃きけば 逢坂あなた関寺と云所に 牛仏あらはれ玉ひてよろづの人々参り見奉る 年ごろ此寺に大なる御堂を建 弥勒を作りすへ奉りけるに 元もいはぬ大木でも 唯此牛一ツして はこび上る事をしけり 中略 寺のあたりに住む人 此牛かりて明日つかはんとて おきたりける夜の夢に 我はかせふ仏なり 此寺の仏を作り堂を建させんとて年ごろするにこそあれ 只人はいかでかつかふべきと見てたりけり 中略 つながねども 行きさる事もなく れいの牛の心さまに似ぎりけり入道殿をはじめ奉りて 世の中におはしける人 参られぬはなく 中略 唯帝・東宮宮々ぞ見おはしまさざりける この牛仏こゝち悩しげにおはしければ 中略 聖影像を画んとて 急ぎけり 中略 いとど人とも参りこむ人もあり いつに
『聞しより 牛に心を うけながら 又こそ越ね おふさかの関』
人々あまた聞ゆれど 同じ事なれば 書くぞ日頃此御形を画せて六月二日ぞ 御眼入んとしける程に 其日に成りて 此御堂を此牛三たびめぐりあり きそもゝの所に帰り来て やがて列けり 中略 すなわち 其所にかづみて経仏供養しけり 後に画し御形を内にも宮にも拝ませ給ひけるこそ有がたけれ 誠のおせう同じ此日にぞ隠れ給ひける (「伊勢参宮名所図会」より)]
「東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「近松御坊世喜寺(関寺)牛搭」( 1 巻 – 14 )
[右ページに近松御坊、左ページに世喜寺(関寺)と牛搭が描かれています。]
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カメラ西北西方向が長安寺参道です。
長安寺山門(Google Map 画像)
長安寺本堂(Google Map 画像)
石造宝塔(Google Map 画像)
石造宝塔案内板(Google Map 画像)