大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」

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大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」
[第二次世界大戦末期の大阪空襲により、大阪府では死者1万2620人、行方不明者2173人の被害があったといわれている。〔1945(昭和20)年10月大阪府警察局調べ〕
 戦後、遺族を中心とした市民団体や一部の自治体では、大阪空襲死没者の氏名等の収集が行われたが、府内全域をとりまとめた名簿はなかった。戦後54年にあたる1999(平成11)年には、「大阪戦災障害者・遺族の会」が調査した約6000名分の名簿が(財)大阪国際平和センター(ピースおおさか)に寄託された。
 当センターでは、この名簿などを基に、大阪府の委託を受け2002(平成14)年10月から、大阪空襲による死没者の本格的な調査を全国的に行った。現在9010名(平成23年8月14日)の氏名等が判明し、「大阪空襲死没者名簿」を展示している。
 これを機会に、この名簿を収納するとともに、大阪空襲で亡くなられた方々を追悼し恒久平和を祈念する「場」の設置を望む声が多方面から寄せられた。
 このため、当センターは、「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」の整備事業に執りかかることを決定し、多くの人々の参画を求めるため、広く募金を呼びかけた。
 この結果、府民・市民の皆様をはじめご遺族や各種団体から、多くの貴重な浄財が寄せられ、また、各方面の方々のご協力・ご支援により、戦後60年にあたる2005(平成17)年8月に完成をみた。
 この「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」には、大阪空襲で亡くなられた方々の「名簿」を収納し、その氏名を刻印した銘板がドーム(高さ3.3m×幅3.1m×奥行き3.1m)の中心に置かれている。この「モニュメント」は、過去の悲惨な戦争から、現在、未来へ向けた新たな恒久平和の取り組みを一つの線上のものとして表現するため、古代から伝わる砂という自然な素材をそのまま活かしながら、ガラスと鉄という近代の素材をそれに融合させ制作された。銘板に刻まれたウミガメは「平和のメッセンジャー」を意味し、母子像は「生命の尊さ」を意味する。正面の砂のブロックには戦火によって溶け、変形した鉄製の工具が埋めこまれている。「かつて起こったこと」を時間を超え証明している。またこのスペースには「メインオブジェ」と8つの「音の出るオブジェ」が配置されている。
 「メインオブジェ」は、平和を象徴する鳥(当センターのキャラクター)であり、この場全体を静かに見守っている。「音の出るオブジェ」は、8回あった大空襲と同じ数を配置しており、吊るされた個々形の異なる鐘を訪れた人々が鳴らし、様々な音色を奏で、その場に参加し、そこにかかわることによって、平和への感覚を目覚ますために配置された。また休息の場として、焼物のテーブルや椅子、水瓶、植物などを配置しているが、これらもひとつひとつが異なった形状、色をしており「生命の多様性」さらにはその「共存性」を表している。これらは、当センターを訪れた人々の安らぎの場となるとともに、大阪空襲による多数の犠牲者へ哀悼の誠を捧げ、恒久平和への新たな取り組みが広く発信される場となるよう、特に次世代を担う子どもたちへ、戦争の悲惨さと平和の尊さについて語り継ぐための強いメッセージとなるよう、願いを込めてトータルデザインされている。
 全体の企画・デザインは当センターのシンボルマーク等を制作された粟津潔氏(環境デザイナー)によるもので、「植木鉢、オブジェ」等については、(財)黒田緑化事業団から寄贈されたものである。
 なお、この「場」が子どもからお年寄りまですべての人々に愛され、いつまでも親しまれるよう「愛称」を広く募集し、「◎刻の庭」と名づけられた。  (「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場「刻の庭」 – 総務省」より)]

このひと – 伊賀 孝子さん

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