大阪金相場会所跡

マーカーは大阪金相場会所跡碑です。

大阪金相場会所跡
[江戸時代の貨幣制度(江戸時代の三貨制度)は、大別すると計数制と秤量制であった。金は両(りょう)、銭は貫(かん)、銀は秤ではかる匁(もんめ)など複雑な面があった。その上、関西は銭、関東は金と流通範囲が自然に分かれていた。そして相互の交換は法定されてはいたもののあまり信用されず、実際には相場が立てられそれが標準になった。そのため金相場の会所は存在価値が高かった。会所は最初高麗橋付近にあったが、のち現地に移り(寛保3年、 1743)、維新後、銀目取引廃止にともない閉鎖された。  (「35.大阪金相場会所(きんそうばかいしょ)跡」より)]

カメラ南方向壁に大阪金相場会所跡プレートが設置されています。