天保山(摂洲阿治川口天保山)

マーカーは天保山です。

天保山
[標高4.53m(15尺)の築山国土地理院発行の地形図に山名と共に掲載されており、山頂には二等三角点がある。大阪市ホームページ内では日本一低い山と記載があり、天保山山岳会でも日本一低い山としている。しかし、2014年4月9日の国土地理院の調査で、日和山宮城県仙台市)の標高が震災の影響で変化したことにより、日本で2番目に低い山となった。また、この山は大阪五低山の中の1座とされている。
木津川と並んで大阪湾から大坂市中へ遡る二大航路のひとつであった安治川は、当時は淀川の本流にあたり、淀川が運ぶ大量の土砂を浚渫する必要が生じた。洪水防止と市中への大型船の入港をしやすくする目的で、1831年(天保2年)から約2年間、安治川では「天保の大川浚」とよばれる浚渫工事が行われた。
大坂町人の熱の入れようは相当なもので、大坂町奉行指揮のもと、延べ10万人以上の労働力がつぎ込まれた浚渫工事は、工事自体がお祭り騒ぎだったと伝えられている。浚えられた土砂を安治川河口に積み上げられてできた築山は十間(約20m)ほどの高さがあり、安治川入港の目印とする意図があった。そのため当初は目印山(めじるしやま。目標山とも表記)と名づけられたが、のちに築かれた時の元号から天保山と称されるようになった。
また、この浚渫工事によって天保山の周囲に町が出現した。海岸べりに高灯籠(灯台)が設けられ、山には松や桜の木が植えられて茶店なども置かれ、大坂でも有数の行楽地となった。当時の舟遊びをする人々の姿は歌川広重葛飾北斎などによって浮世絵に描かれている。江戸時代は大坂町奉行の直轄地だったが、1871年(明治4年)に西成郡天保町となった。  (wikipedia・天保山より)]

摂洲阿治川口天保山(せっしゅうあじかわぐちてんぽうざん)(ボストン美術館よりダウンロード)

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」- 「5巻37・安治川口緒舩入津

里の家芳瀧(中井芳滝)/画 天保山(wikipedia-photo)

[錦絵手前に大胆に描かれているのは河口の航路標識「澪標(みおつくし)」で、現在の大阪市章の原形です。  (「今週の今昔館(118) 天保山 20180703」より)]

天保山紹介サイト – 「天保山渡船(前篇) – ちょっとぶらぶら

カメラ北北東方向に天保山三角点があります。

天保山公園