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豊日神社
[豊日神社御由緒
鎮座地 天理市豊井町天神口
御祭神 菅原道真公 大山祇命
例 祭 十月十四日
「豊日神社」と記された社号標の後方左右の石燈籠に、「天満宮」と刻まれている。境内に並んでいる石灯籠にも「天満宮」が多く、「豊日神社」と刻まれているのは一基だけである。祭神が菅原道真公であること、道真公と所縁の深い牛の像が拝所の上の石段左右に据えられていること、鎮座地が天神口であることなどから、当社はかつて天満宮であったことが分かる。
『三代実録』の貞観5年(863)10月6日乙丑条に、「大和国正六位上豊日神授従五位下(とよひのかみにじゅごいのげをさずく)」とある記事から、『大和志』(享保19年<1734>成立)が「豊井村今称天神(いまてんじんとしょうす)」を、「豊日神祠(とよひしんし)」に宛て、これを根拠に明治になり豊日神社と改号された。
『奈良県山辺郡誌』(大正三年刊)には当社の由緒を次の如く記している。
【古老ノ伝ニ云ク、又天神ト称シ、或ハ火雷天神ト称シ、社ヲ天満宮トモ云フ。而シテ社地ノ夕日朝日共共ニ良キ処ナルヲ以テ、神社ヲ豊日ト申シ、天神ヲ祭ルガ故ニ地名ヲ天満口ト云フ。其村ヲ豊日村ト唱ヘシモ何時ノ頃ヨリカト豊日ヲ豊井トト誤リシナラント。】
豊日の称のおこりは牽強付会で、豊日に誤ったとするのも強弁に過ぎない。
天神は元来カミナリ(神鳴)で、稲の妻(イナズマ)として稲作に豊穣をもたらす神であった。ところが平安中期以降になると道真公の怨霊が雷火と化したと信じられ、天神は専ら道真公の神号となった。後世になると元来の天神を祀る天神社も道真公を祭神となし、社号も天満宮と称したところが各地にみられる。当社もその例とみなしてよく、創祀の時期は不明なるも、道真公の時代以前であったことは、間違いないであろう。
豊日神社氏子一同 平成二十一年五月 (「豊日神社 ( 歴史 ) – 古代文化研究所 – Yahoo!ブログ」より)]
カメラ初期設定方向ソーラーパネル手前の道が山辺の道で、豊日神社の参道にもなっています。