五社神古墳

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五社神古墳
[五社神古墳(ごさしこふん)は、奈良県奈良市山陵町(みささぎちょう)にある古墳。形状は前方後円墳佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ、狹城盾列池上陵)」として第14代仲哀天皇皇后の神功皇后に治定されている。
全国では第12位の規模の古墳で、4世紀末(古墳時代中期初頭)頃の築造と推定される。
概要
奈良盆地北部の佐紀丘陵において、丘尾を切断して築造された巨大前方後円墳である。「五社神」の古墳名は、かつて後円部墳頂に存在した祠による。文献によれば、嘉永2年(1849年)に盗掘があったことが知られる。現在は宮内庁治定の神功皇后陵として同庁の管理下にあるが、2003年度(平成15年度)に墳丘裾部で発掘調査が実施されているほか、2008年(平成20年)に陵墓では初めてとなる学会立ち入り調査が実施されている。
墳形は左右非対称の前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部が4段築成、前方部が3段築成。墳丘長は推定復原で267メートルを測るが、これは佐紀盾列古墳群中では最大規模で、全国では第12位の規模になる。またくびれ部西側では造出の存在が推定されるほか、墳丘表面では葺石埴輪円筒・朝顔形・壺形・盾形・家形・蓋形埴輪)が検出されている。墳丘周囲には周濠が巡らされているが、元来は周濠を伴わず、現在見られるものは後世に形成されたものと推測される。主体部の埋葬施設に関しては、江戸時代の盗掘を記す史料により竪穴式石室(内部に長持形石棺)の使用と見られている。
この五社神古墳は、古墳時代中期初頭の4世紀末頃の築造と推定される。奈良盆地北部での巨大古墳としては、佐紀陵山古墳(伝日葉酢媛命陵)・宝来山古墳(伝垂仁天皇陵)・佐紀石塚山古墳(伝成務天皇陵)に後続する築造順序に位置づけられる。特に五社神古墳の場合はヤマト王権の大王墓と目されるほか、造出での祭祀(主に中期古墳で見られる)の実施が初期事例となりうる点が注目される。被葬者は明らかでないが、前述のように現在は宮内庁により神功皇后(第14代仲哀天皇皇后)の陵に治定されている。
五社神古墳の航空写真(昭和49年度撮影)・wikipedia-photo、神功皇后狭城盾列池上陵 拝所・wikipedia-photo  (wikipedia・五社神古墳より)]

五社神古墳(神功皇后陵 狭城盾列池上陵) – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が神功皇后陵 狭城盾列池上陵拝所です。