佐保川・今在家町石橋

マーカーは今在家町石橋です。

今在家町石橋
[今在家町の佐保川に架かる長さ15mの大きな石橋。かつての奈良街道の賑わいを示す証人。石橋といえば長崎眼鏡橋肥後国通潤橋が有名です。明治になるまでは、石橋の95%が九州で架けられ、本州などでは、わずか20橋程度しか架けられていませんでした。今在家町の石橋は、慶安3年といいますから、今から353年前の1650年に架けられた記録が残っています。これは九州の橋を含めても全国20番目ぐらいの古さで、大変貴重な石橋であるといえます。大正時代に上面をコンクリートで舗装されたため、毎日利用されているのに、地元に人にも忘れ去られていました。東大寺元禄の復興の時に、木津から荷揚げしたが木材が運ばれましたが、25トン長さ25mにもおよぶ巨大な梁や柱が無事佐保川を渡ることができたのも、この石橋のおかげです。東大寺とも縁の深い橋です。京都伊賀八幡への玄関口として重要な橋であり、奈良奉行所によって南都で唯一架けられた橋(公儀橋)です。
奈良晒(ならさらし)と佐保川
佐保川の石橋から東側の辺り、今は奈良市の市営住宅が建っているあたりは江戸時代、佐保川に沿ったなだらかな斜面で、佐保川の水を使って晒しが行われていました。布の白さが雪のようであったといいます。その光景は、大和名所図絵(寛政3年:1791)にも描かれています。奈良晒は全国ブランドの高級麻布でした。  (「手貝町辺りから西側へ ~奈良きたまちの観光・歴史探訪~」より)]

[奈良市内に及ばず奈良県内では一番の石橋である。春日大社一の鳥居から東大寺天轄門前を通り、程なく奈良坂へと辿ると、佐保川手前で旧道と新道とに分かれる。国道369号となった新道に架かる橋は「新石橋」と呼ばれるが コンクリート製の近代的な橋である。旧道は奈良坂を目指し真っ直ぐ延びる。この道は古都奈良と京の都とを結ぶ古道で奈良街道と呼ばれ、木津・宇治を経て京都へと通じる。この街道に架かる方が、その名もズバリ「石橋」である。拡張部分を除けば石橋の状態は、そのままの姿で保存されていると言える。  (「今在家の石橋 – img 」より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「ならのさらし場」(2-16)

[奈良名産品のひとつに奈良晒(ならさらし)があります。晒は麻製の織物のことで、特に奈良晒は最上品として知られ、徳川将軍家から奈良晒には「南都改」の印をつけよと命じられ、印のない晒は売買が禁じられました。大和名所図会は、佐保川の晒場でつくられる奈良晒の工程を一場面で描いています。
①純白の晒布を川の流れに泳がせて洗う。
②岸に広げて並べる。
③灰汁をかけて、日に干す。
④灰汁で炊いて、さらに、日に干す。
⑤これらを繰り返した後、木臼でついて、川で洗う。
こうして、数十日かけて、奈良晒がつくられます。晒を干した様子は、「佐保山白雪の如し」(『揚麻止名勝志』)と称えられ、白い晒と山々の緑や川沿いの木々とのコントラストは、現代で言う“映える”絶景だったに違いありません。絵の背景の右奥に春日山、左に若草山。麓には東大寺の大仏殿、二月堂が描かれ、「宝蔵」とあるのは、位置関係から正倉院でしょうか。
大和名所図会の次の絵「佐保川」には、川で洗濯する女性、裸で遊ぶ子どもたち、川面に垂れる青柳が描かれています。佐保川は春日原始林に源を発し、夏の蛍は南都八景のひとつに選ばれました。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ⑨奈良の晒場(巻之二)(関連 …」より)]
佐保川」(2-17)、「佐保川解説・左ページ左端」(2-13)

金糸細々垂香餌錦鯉悠々弄直釣 流れ悠々 釣の糸ふく 秋の風 蕪村」(2-30)

国立国会図書館デジタル化資料 – 南都八景」 – 「佐保川の蛍

日本山海名物図会」(巻の四 – 13ページ・奈良晒)

カメラ位置は今在家町石橋の北詰めです。

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