元興寺(小塔院跡)

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元興寺(小塔院跡)
[かつての元興寺を起源とする寺院は他に奈良市西新屋町に所在する真言律宗の小塔院がある。ここは現在は奈良市中院町所在の元興寺内の収蔵庫内に現存する国宝の五重小塔を安置する堂が存在した場所として1965年に国指定の史跡・「元興寺小塔院跡」に指定されている。現在は江戸時代に建立された虚空蔵堂があるだけである。
奈良時代の元興寺伽藍は、南大門、中門、金堂(本尊は弥勒仏)、講堂、鐘堂、食堂(じきどう)が南北に一直線に並び、中門左右から伸びた回廊が金堂を囲み、講堂の左右に達していた。回廊の外側、東には五重塔を中心とする東塔院、西には小塔院があった(小塔院には、小型の塔が屋内に安置されていたものと思われる)。これらの建物はすべて焼失して現存しない
●五重小塔 – 収蔵庫に安置。奈良時代。高さ5.5メートルほどの小塔だが、内部構造まで省略せずに忠実に造られており、「工芸品」ではなく「建造物」として国宝に指定されている。同じく建造物として国宝に指定されている海龍王寺の五重小塔は、奈良時代の作であるものの内部構造は省略されているため、現存唯一の奈良時代の五重塔の建築様式を伝える資料として貴重である。かつては「小塔院」の建物内に安置されていたと伝えられる。一貫して屋内にあったため傷みが少ない。
五重小塔・wikipedia-photo  (wikipedia・元興寺より)]

[平城京の官寺は平安京遷都後朝廷の庇護が弱り次第に衰微していくが、当寺院も同じ道を歩む。そしてその衰退が決定的になったのは室町時代宝徳3年(1451)10月14日土一揆によって出火し、主要堂宇のほとんどが焼失してしまったことである。焼け残ったのは、五重塔、観音堂、極楽坊のみであった。その後金堂が再建されるがこれも台風により倒壊し、その後一つの伽藍として再興されることなく寺地は荒廃した。そこに町家が次第に進出し始め、元興寺は進出した町家の中に埋もれるように観音堂・五重塔、焼失後仮堂を建て復興に努めた小塔院、極楽坊の三つに分かれ存続することとなった。そして、この三寺の中で東大寺より支援を受けた五重塔を擁した観音堂が元興寺を称した。
この後、元興寺観音堂は東大寺末寺として又観音信仰にも支えられ存続するが江戸末期の安政6年毘沙門町から出火した火に五重塔とともに焼失。
 小塔院は江戸時代の元禄期に愛染堂、宝永4年仮堂が再建されるもの復興にいたらず衰微した。
 一方、極楽坊は平安末期から盛んになる阿弥陀信仰によって、智光の曼荼羅を祀る寺として庶民信仰を集め、元興寺本来のものとは全く異なる元興寺極楽院として存続していくこととなる。
 しかし、明治に入りこの元興寺極楽院も、神仏分離廃仏毀釈によって朱印地は全て没収され西大寺預けとなり、この三つの寺は明治、大正時代には無住寺院化するまでに衰退してしまうこととなった。
再建が図られたのは昭和に入ってからである。昭和10年に小規模ながら元興寺観音堂が再建された他、極楽院は戦後、奈良時代建築物遺構として又当寺院に残る庶民信仰の貴重な資料が見直され順次復興。今日に至っている。  (「元興寺」より)]

元興寺小塔院跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向が小塔院の東門です。

カメラ東方向・「元興寺小塔院跡」と書かれた碑右が小塔院の西門です。

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