興福寺(国宝館)

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国宝館
[国宝館は旧・食堂(じきどう)の跡地に建てられた文化財収蔵・展示施設で、1959年に完成した。鉄筋コンクリート造だが、外観は旧・食堂を模した寺院建築風である。食堂は1874年(明治7年)、廃仏毀釈のあおりで興福寺が荒廃していた時代に取り壊されている。内部にはもと食堂本尊の千手観音の巨像(高さ5.2メートル)が中央に安置され、仏像をはじめとする多くの寺宝が展示されている。2010年3月にリニューアルオープンし、従前に比べ展示点数が増えたほか、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用されたことにより、多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになった。
●乾漆八部衆立像(国宝)-奈良時代の作。もと西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つ。五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅畢婆迦羅(ひばから)の8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。阿修羅像(八部衆像のうち)・wikipedia-photo
●乾漆十大弟子立像(国宝)-奈良時代の作。八部衆像とともに、西金堂本尊釈迦如来像の周囲に安置されていた群像の1つである。当然ながら制作当初は10体の群像であったが、4体は明治時代に寺外へ流出し、舎利弗目犍連(もくけんれん)、伝須菩提富楼那迦旃延、伝羅睺羅の6体のみが寺に現存する。寺外に流出した4体は、明治時代の古写真に写っているが、いずれも破損が激しい。これら4体のうち、大倉集古館旧蔵の1体(伝優波離像)は関東大震災で焼失した。他の3体は以下の所蔵先に現存するが、いずれの像も原形を留めていない。
  ●伝阿難像(個人蔵) – 大破していた像の欠失部分を補って復元したものとされるが、詳細不明。
  ●伝大迦葉像(大阪市立美術館蔵) – 頭部のみ残存。
  ●像名不詳心木(東京藝術大学大学美術館蔵) – 両足先と衣の裾の部分がかろうじて残存する。
●銅造仏頭(国宝)-白鳳時代の作で、頭部のみ残っているが、白鳳文化を代表する作品。旧山田寺仏頭とも。元来、飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊薬師三尊像の中尊像の頭部で(前記)、東金堂にあったが、室町時代の火災で頭部だけがかろうじて焼け残った。(この火災により、右耳付近が大きく変形している)。この頭部は新しく作った本尊像の台座内に納められて長らく人目にふれず、1937年(昭和12年)に再発見された。この時には他に、類例の少ない銀製の仏像の腕(重文)も発見されている。旧山田寺仏頭・wikipedia-photo
●木造仏頭(重文)-廃絶した西金堂の旧本尊・釈迦如来像の頭部。鎌倉時代。頭部のほかに両手の一部、光背を飾っていた飛天像と化仏(小型の仏像)も残っている。従来、運慶の兄弟子・成朝の作とされていたが、近年、興福寺別当(住職)信円の日記の記述から、文治2年(1186年)正月に運慶によって作られたとする説が有力となっている。
●木造金剛力士立像(国宝)-もと西金堂安置。鎌倉時代。定慶作とする説もある。金剛力士像(阿形)・wikipedia-photo、金剛力士像(吽形)・wikipedia-photo
●木造天燈鬼・龍燈鬼立像(国宝)-もと西金堂安置。大きな燈篭を、天燈鬼は肩にかつぎ、龍燈鬼は頭上で支える。架空の存在を写実的かつユーモラスに表現した、鎌倉期彫刻の傑作である。龍燈鬼像は運慶の子息である康弁建保3年(1215年)の作で、天燈鬼も同人か周辺の仏師の作と思われる。天灯鬼像・wikipedia-photo、竜灯鬼像・wikipedia-photo
●木造法相六祖坐像(国宝)-運慶の父・康慶一門の作。玄賓行賀玄昉神叡常騰善珠という、法相宗の6名の高僧の肖像。南円堂の本尊の周囲に安置されていた。行賀像と神叡像は、奈良国立博物館なら仏像館に寄託。伝・行賀像(法相六祖像のうち)・wikipedia-photo
●木造千手観音立像(国宝)-もと食堂(じきどう)本尊。現在は、食堂跡地に建つ国宝館の中央に安置される。高さ5.2メートルの巨像で、像内納入品の銘記から鎌倉時代、寛喜元年(1229年)頃の完成と推定される。この千手観音像は記録によると造像開始から完成まで4半世紀の歳月を要した。当初の造像担当者であった成朝は運慶の父康慶の兄弟子にあたり、康慶よりも正当な慶派の後継者であった。しかし成朝は病弱であったため千手観音像の制作途中で亡くなったと推定されている。その後放置されていたものが何らかの理由で制作が再開され、別の仏師の手により完成された。像の部材は制作が中止されている間風雨に晒されていたらしく、内部の木肌は酷く痛んだ状態であった。
●板彫十二神将像(国宝)-平安時代11世紀半ばの作。日本では珍しい、檜板に浮き彫りにした仏像で、現在は剥落しているが、もとは彩色されていた。12面完存している。像容は誇張的にデフォルメされており、武神像でありながらどこかユーモラスな雰囲気が漂う。厚さ3cmほどの板に彫られたとは思えないほど立体感と奥行きが感じられ、特に顔や手足の筋肉は微妙な段差と起伏によって巧みに表されており、作者の高い技量を見て取ることが出来る。10世紀末期に活躍した画僧・玄朝(源朝)の図様を元に制作された。江戸期の文献には、この板彫を指すと見られる十二神将像が東金堂にあったという記載があるが、それ以前の伝来については解っていない。十二神将は薬師如来を守護し、仁和寺の薬師如来坐像の台座には十二神将を彫った作例があることから、元々は薬師像の台座側面に貼られていたと推測される。
●金銅燈籠(国宝)-南円堂前に立っていた銅製の燈籠で、現在は国宝館に展示されている。平安時代初期の弘仁7年(816年)の銘があり、紀年銘のある燈籠としては日本最古のものである。火袋の文字は当代の書道史の遺品としても貴重。
梵鐘(国宝)-奈良時代、神亀4年(727年)の銘がある。制作年の分かる梵鐘としては、妙心寺鐘(698年)に次いで、日本で二番目に古い。  (wikipedia・興福寺より)]

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カメラ西北西方向が国宝館です。