奈良国立博物館

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奈良国立博物館
[奈良国立博物館(ならこくりつはくぶつかん)は、奈良県奈良市登大路町にある、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館である。仏教美術を中心とした文化財の収集、保管、研究、展示を行うとともに、講演会や出版活動などを通じた普及活動を行うことを主たる活動内容としている。展示施設は本館、本館付属棟、東新館、西新館、地下回廊がある。このうち本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により1894年(明治27年)竣工したもので、明治期の洋風建築の代表例として国の重要文化財に指定されている。展示品は館蔵品のほか、奈良県下を中心とした社寺や個人からの寄託品も多い。毎年秋に実施される「正倉院展」の会場でもある。1980年に新設された仏教美術資料研究センターでは、仏教美術に関連する資料の作成・収集・整理・保管を行っており、毎週水・金曜日に限定して一般に公開される。1983年から奈良国立博物館の所属になった建物(国の重要文化財)は、1902年(明治35年)に竣工した関野貞設計の旧奈良県物産陳列所である。
奈良国立博物館・wikipedia-photo

「新館と水庭、地下回廊アプローチ」・wikipedia-photo

   (wikipedia・奈良国立博物館より)]

所蔵絵画
十一面観音像(国宝)・wikipedia-photo

[十一面観音の絹本著色(けんぽんちゃくしょく)像として現存最古の作。右手を垂下し、左手に紅蓮華(ぐれんげ)を挿した水瓶をもち、蓮華座に坐る。全身斜め向きという奈良時代に淵源をもつ古様な図像を踏襲する一方、銀を用いた竜胆唐草(りんどうからくさ)文で天蓋(てんがい)や光背を荘厳するなど、平安仏画らしい美麗な表現を尽くす。着衣の截金(きりかね)文様の大ぶりの表現が、保安二年(一一二一)造立の法隆寺聖霊院(ほうりゅうじしょうりょういん)安置聖徳太子(しょうとくたいし)坐像に施されるものによく似ており、本品が十二世紀前半の作であることを強く示唆する。かつて法隆寺鎮守龍田新宮(たつたしんぐう)の境内にあった伝灯寺(でんとうじ)に伝来し、江戸時代末期には法起寺(ほうきじ)の什物となっていた。  (「奈良国立博物館 – 十一面観音像 – 国宝」より。)]

[地獄草紙 奈良国立博物館本(国宝)
旧蔵者にちなみ「原家本」ともいう。紙本著色、巻子装。寸法は縦26.5cm、全長453.9cm。絵7段、詞6段からなり、第7段は絵のみがあって詞を欠いている。かつては第6段も絵のみであったが、第6段の詞の部分が他所に保管されていたものが戦後発見され、巻物の所定の位置に貼り継がれている。このように、本巻は完本ではなく、大部の絵巻であったものの一部分が残ったものと推定される。本巻に描かれている地獄の様相は、『起世経』所説の十六小地獄に基づいている。巨大な鶏が口から火を吐く「鶏地獄」、鬼卒たちが亡者を鉄の臼で磨り潰している「鉄磑所」の画像がよく知られている。

地獄草紙のうち鶏地獄・wikipedia-photo

    
地獄草紙のうち鉄磑所・wikipedia-photo

   
『考古画譜』によると、明治20年頃までは東京・東大久保の大聖院にあったもので、後に横浜三渓園の創立者として知られる原富太郎(原三渓)の所有となった。7段目については詞書を欠くため、「狐狼地獄」とも「灰河地獄」とも推定されている。ボストン美術館には本巻の断簡と推定される「一銅釜」(いちどうふ)図がある。  (wikipedia・地獄草紙#奈良国立博物館本より。)]
    
山水図(水色巒光図)伝周文筆(国宝)・wikipedia-photo

[一般に詩画軸は煩わしいほど多くの画賛で余白が埋められていて、本図ほど余白が生かされている例は少ない。上辺には三人の禅僧による画賛が行儀よく並んでおり、江西龍派は俗世間から隔絶した山水の色と光とを称え、二人めの信仲明篤はこの図から春の兆しを感じ取っている。だが、最後の心田清播をも含めて三僧ともこの図においては木陰の書斎が主題であることを見逃してはいない。都の俗塵のなかでの生活を余儀なくさせられている禅僧にとって、理想郷は画中に求めるしかなかった。心田清播は文安2年(1445)5月という年月を記している。これによって画面の左右どちらかの片隅に重点をおいた、いわゆる辺角の景から雪舟のように中軸を明示した山水への転換が図られた時期が推測できる。この図は、一時代を画した周文が姿を消し、雪舟が育とうとしている日本水墨画界の重要な転回点を象徴する傑作である。  (「奈良国立博物館 – 国宝 さんすいず(すいしょくらんこうず) 山水図(水色巒光図)」より。)]

一休宗純像』(重要文化財)・wikipedia-photo

[臨済宗大徳寺派の禅僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(一三九四〜一四八一)の現存最古の頂相(ちんそう)(肖像画)。文安四年(一四四七)の五十四歳時に一休が弟子の音菴主(おんあんしゅ)の求めに応じて着賛している。図は、右手に竹篦(しっぺい)(禅宗で師が弟子の指導に用いる竹製の杖)を持ち、曲彔(きょくろく)(椅子)に左足を踏み下げて坐る一休を描く。傍らの長大な朱塗鞘(しゅぬりざや)の太刀(たち)は、一休が四十二歳の時、堺の街を木剣の鞘をたたきながら歩き回り、見せかけだけの偽坊主を批判したという逸話に由来するもの。本図と同図様の作例が数点知られており、破格の禅風で知られた一休の人となりを象徴している。  (「奈良国立博物館 – 重要文化財 いっきゅうそうじゅんぞう 一休宗純像」より。)]

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カメラ西方向が奈良国立博物館で、カメラ南東方向が奈良国立博物館新館です。

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