嶋嘉橋

マーカーは嶋嘉橋です。

嶋嘉橋(しまがばし)
[猿沢の池南西角に位置し、率川(いさがわ)に架かる石橋。率川は大半が暗渠となり猿沢の池南に僅かにその流れを見ることが出来る。平城京上ツ道、後の伊勢街道起点にあり、架橋は明和七年(1770)庚寅年五月吉日とある。橋より西に位置する椿井町嶋屋嘉兵衛が私財を投じて架設し、嶋屋嘉兵衛の名を取り「嶋嘉橋」と名付けられた。
上流川中に船のような中州が築かれているのは、橋脚に当たる水圧を下げる目的で、水流を分流するために設けられた。明治の廃仏毀釈で川に捨てられた石像を中州に集め祀った。船に乗る地蔵(率川地蔵尊)として、以来信仰を集め現在に至る。  (「嶋嘉橋 – img」より)]

魚佐旅館跡
[創業150年(1832年(文久2年)創業)をこえる老舗旅館。小泉八雲が宿泊したことでも知られる。 猿沢池のほとり、興福寺五重塔が一望できる風光明媚な場所にたっていた。
客室数49と奈良市中心部で最大級の旅館だったが、建物老朽化に加え、修学旅行生を中心とした宿泊者数の減少に歯止めがかからないことから、2013年閉館した。 建物は解体。跡地にはウエディング施設が建設されている。  (「魚佐旅館(閉館・取り壊し) – 奈良県奈良市」より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「鳥声朝故國旅籠旅立」(2-24)、

[江戸時代の人びとはかなりの健脚だったようだ。それでも、長旅ともなれば、少しは楽をしたい日も出てくる。そんな時は馬や駕籠(かご)を利用した。ただし、人間が担ぐ駕籠はもちろん、馬も馬子(まご)について歩くだけだから、スピードは自分で歩くのと変わらなかった。馬の利用は3種類。荷物だけ運ぶのは「本馬(ほんま)」、人と荷物を運ぶのは「乗掛(のりかけ)」、人だけ乗せるのは「軽尻(からじり)」。浮世絵を見て面白いと思ったのは「三方荒神(さんぽうこうじん)」。馬の背に1人が乗り、左右につけた木の枠に1人ずつ入って三人乗りする軽尻の一種。もちろん、重量制限があるから大人3人は乗れない。浮世絵でも、描かれているのは子供ばかり3人とか母親と子供2人のパターン。大人の女性二人の「二方荒神」というのもあった。この「三方荒神」という奇妙な名前、日本特有の仏教における信仰対象の1つ「三宝荒神」に由来。仏・法・僧の三宝を守護するという神で、三面六臂(ろっぴ)の姿が3人乗りの姿と重なったのだろう。文政9年(1826)に長崎江戸を往復したシーボルトは、東海道でこの「三方荒神」を目にして「家族で話しながら旅ができる」ことに感心して日記に書き残している。馬を利用する場合の料金は、一頭を一里雇うと200文(1文20円として4000円)くらい。安くはなかったが、楽ができるだけでなく、馬子との道すがらのおしゃべりの中でその地の伝説や景勝地、名物などを教えてもらえるので、観光ガイドの役目も果たした。では、こうした馬を利用したい場合どこで頼めばよかったか?もちろん「流し」などない。宿場問屋場(といやば)へ行かなければならない。ここは宿場の中心で、宿役人が常駐していて、人馬や駕籠の申し込みを受け付けたり旅籠の紹介をした。馬に人、荷物を運んでもらう場合、重さが料金に反映したが、その計測を行う「貫目改所(かんめあらためしょ)」も問屋場に併設されていた。問屋場を通さず、非公式に格安で運ぶと言われて頼むと、別の場所に連れて行かれたり、オプション料金がかさんで結局多額の代金を取られたりという被害もあったため、問屋場を通すのが旅の鉄則だった。けちるとろくな目に遭わないのはいつの時代も変わらない。  (「江戸の旅ばなし4 交通手段① 馬 | 粋なカエサル」より)]

上つ道(伊勢街道) – Google Map 画像リンク」、「常夜燈 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が嶋嘉橋で、橋の南東詰めに魚佐旅館がありました。