平城京羅城門跡

マーカーは平城京羅城門跡案内板です。

平城京羅城門
[平城京の羅城門は、現在の奈良県大和郡山市観音寺町・奈良市西九条町の羅城門橋付近に位置する。
文献上では、『続日本紀』において雨乞い・外交使節送迎など様々な儀式が行われたことが見える。
遺構は、現在では佐保川の流路内(西側堤防下)に位置するため、中心部分は大きく破壊されている。1969-1971年(昭和44-46年)の発掘調査では、基壇の西端部分が検出された。規模については、従来は平城宮朱雀門と同様の桁行5間・梁間2間と推定復元されていたが、近年の条坊での発掘調査結果を基に桁行7間で京内最大と復元する説も挙げられている。また羅城については、羅城門付近のみとする説、京南辺全体とする説があるが、2005年(平成17年)に700メートル東方でも掘立柱構造の羅城が認められている。また『続日本紀』によれば門前に「三橋」があったことが知られ、これは現在も付近の小字名として遺存する。
なお郡山城では、天守台の石垣のうちに平城京羅城門の礎石と伝わる石の遺存が知られる。  (wikipedia・羅城門より)]

[この付近には奈良時代に羅城門があり、この場所から遠方に小さく見える朱雀門(復元)まで平城京の朱雀大路が通っていました。朱雀大路は幅が75mあり、平城京の南端の羅城門から平城宮の玄関である朱雀門まで4kmにわたり続くメインストリートです。朱雀門の先には大極殿(復元)の屋根が重なって見えます。羅城門は外国からの使節を歓迎する外交儀礼の場所であり、また雨乞いが行われる宗教的な場所でもありました。  (「奈良県景観資産―朱雀大路を体感できる羅城門橋付近―/奈良県公式 …」より)]

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カメラ北方向に平城京羅城門跡案内板が設置されています。

カメラ西南西方向、大和郡山市側・羅城門橋接続高架下に大和郡山市教育委員会設置の平城京羅城門跡案内板と平城京朱雀大路跡碑があります。

カメラ西方向が平城京羅城門跡公園に設置されている平城京羅城門跡の碑で、碑右に小野老の歌碑、左に北浦定政の歌碑、カメラ南東方向に伊勢大輔の歌碑、カメラ東方向に阿倍仲麻呂の歌碑があります。