旧大乗院庭園

マーカーは名勝大乗院庭園です。

旧大乗院庭園
(財)日本ナショナルトラスト保護資産 名勝旧大乗院庭園
[旧大乗院庭園(きゅうだいじょういんていえん)は奈良県奈良市高畑町にある日本庭園。国の名勝
興福寺門跡寺院である大乗院寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園は、12世紀における平重衡による南都焼討で被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、ここも15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った善阿弥父子を招いて池泉回遊式庭園を改造させた。以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられた。
大乗院は廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となったが庭園は残され、戦後その一部が整備され、森蘊による研究なども奏功して、昭和33年(1958年)に国の名勝に指定された。1973年からは日本ナショナルトラストが管理することとなった。平成7年(1995年)からは奈良文化財研究所による発掘調査と並行して復元工事が進められている。平成12年(2000年)秋の発掘調査では東池と西池の中間に2つの小さな丘と、その間に掘削された溝が発掘された。翌13年(2001年)の調査では小さな滝と中島を備えた池が発見され、北池と仮称された。復元作業は平成22年(2010年)に全体が完成する予定である。
名勝大乗院庭園文化館
財団法人日本ナショナルトラストが庭園の南端に建設した休憩所を備えた博物館。館内には大乗院の復元模型や大乗院に関する資料が展示されている。1階に休憩スペースが広く取られており、そこからは庭園を一望できる。復元した楽人長屋土塀を外構としている。入館無料。
名勝大乗院庭園文化館・wikipedia-photo、東大池・wikipedia-photo、西小池・wikipedia-photo  (wikipedia・旧大乗院庭園より)]

[奈良市高畑町の名勝大乗院庭園文化館の前に再現されている楽人長屋の土塀は、かつて存在した実際の長屋の入り口と比べ、かなり大きいことが「奈良の声」の調べで分かった。市が施工し、ホームページでは復元とPRしている。
 楽人長屋は、雅楽の奏者が江戸時代に住んでいたとされる建物で、同町内の御所馬場町といわれた地域に1991年まで存在した。門には明和3(1766)年の銘があった。市道高畑杉ケ町線の建設により、門は市内の伝香寺に移築されたが、建物と塀は取り壊され、96年に市が土塀を再現した。
 市教育委員会文化財課に残されている当時の実測図によると、土塀を丸くくり抜いた入り口の間口は90センチで、高さは1.7メートル。もう一方の入り口も同じ高さで、間口は1.3メートル。これに対し、市が施工した塀の入り口は、間口が1.6メートル、高さは2.6メートルもある。
 管轄する市文化振興課の話では、市の事業として塀を再現したが、再現に関する文書は保存年限が過ぎており、「記録がない」という。
 一方、文化財課は、楽人長屋について現存する資料は、「奈良町風土記」(山田熊夫著、1976年刊)の記述が唯一ではないかと見ている。同書には、「その昔、楽人たちの住したところで、楽の音の外にもれないよう、また雑音のはいらないようにと土塀を築いたと伝えている」とある。
 旧大乗院は興福寺の門跡寺院。御所馬場町のかいわいは、大乗院に仕えた人々の屋敷が並び、独特の風情があったという。文化財課は「楽人長屋を模した塀は、厳密には、文化財などの復元とはいえない。一部はトイレの入り口にも当たるので、あえて大きくしたのだろうか」と話している。  (「楽人長屋 再現土塀、入り口実際より大きい – 奈良の声」より)]

和州奈良之圖(天保15・1844年)」(高画質画像で拡大すると、絵図中央右上に大乗院様と描かれその左下に浅香山と記述されています。)

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「朝香山大乗院」(2-8)

[図会中央上に大乗院、その後ろにあさか山が描かれています。左ページの川は能登川と思われます。]

名勝旧大乗院庭園 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が名勝大乗院庭園文化館です。

名勝大乗院庭園・文化館北側のストリートビューです。

旧大乗院庭園北側のストリートビューです。

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