知足院

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知足院
[大仏殿北方の丘の上にある。寛平2年(890年)の創建で、東大寺における法相教学の拠点となった。重要文化財の地蔵菩薩立像を有する。  (wikipedia・東大寺塔頭寺院より)]

ナラノヤエザクラ
[奈良の旧都に美しい八重桜があった事実は『詞花和歌集』『袋草子』『沙石集』『徒然草』などの文献に、また江戸時代の図譜として残されている。
江戸時代初期、1678年に出版された『奈良名所八重桜』(国立国会図書館デジタル化資料 – 奈良名所八重桜 12巻)は奈良の八重桜について記述している。『奈良名所八重桜』は名所案内記に名をかりたフィクションであり、東大寺、興福寺はじめ作り話が多い。北川尚史は評して「講談師見てきたようなウソをつき」と記している。記述によると、天平時代、聖武天皇三笠山奥の谷間で美しい八重桜を見つけ、その八重桜の話を光明皇后にしたところ、光明皇后は一枝でも構わないから見てみたいと大変興味を持った。聖武天皇の臣下たちは気をきかせ、その八重桜を宮中に移植した。以来、春ごとにその桜を宮中の庭で楽しみ続けられたという。まさに講談師の演目そのものである。天理大学の教授はこの書を絶賛している。すでに和田萬吉(1916)はこの書を「往々荒唐無稽に陥り、かの愚夫愚婦の迷信を助長する縁起集を読み行くが如き感あり」としている。
ナラノヤエザクラは伊勢大輔の詠んだ和歌により名高い。
      『いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな』
七大寺巡礼私記』には、奈良の都の八重桜が植わっていた場所と開花時期が記載されている。記載によると、奈良の八重桜は興福寺の東円堂にあり、他の全ての桜が散ってから咲く遅咲き桜であったとされる。
      『於興福寺東門之北脇、其堂南門之西脇有櫻樹
       所謂奈良都之八重櫻是也、古傅云、此櫻一切櫻花散之後、始以開敷、是爲奇特云ゝ
       アハレテフコトヲアマタニヤラシトヤ、ハルニヲクレテヒトリサクラム』
奈良の八重桜は奈良市が市制施行した5年後の1903年に制定された奈良市章(wikipedia-photo)の素地となっている。この市章は天平時代から奈良にゆかりの深い、奈良の八重桜をかたどり、花芯を「奈」の字に見立てたデザインである。当時の名所案内記にも東円堂跡・師範学校内にナラノヤエザクラが記載されている。
1922年に東京大学の植物学者であった三好学が東大寺知足院の裏山に植わっていた特徴ある八重桜を岡本勇治の案内で視察(調査)した(三好の岡本への追悼文より)。小清水は1922年4月に三好が発見したとするが、三好の論文の掲載号はこの年の1月である。三好は論文で産地として「京都と奈良」をあげている。ナラノヤエザクラは岡本勇治が大正10年頃(この年に三好が来県しているので早い月か前年)に天然記念物指定申請をおこなっている。申請は知足院のほか師範学校、春日神社(現春日大社)の三樹である。大阪朝日新聞大和版にも関連の記事がある。この「知足院の奈良八重桜」は1923年に国の天然記念物に指定されている。三好や戦前の文部省では「知足院の奈良八重桜」としているが官報に印刷ミスがあったらしく「知足院ナラノヤエザクラ」(戦後は名前はカタカナで表記することになった)としているが、申請は三樹であり、やはり「知足院のナラノヤエザクラ」とするのが正しい。
ナラノヤエザクラは奈良を代表する花として1968年には奈良県花に制定された。さらに1998年には奈良市花に制定されている。
「知足院奈良八重桜」も1923年に天然記念物に指定された樹は既に枯れてしまっている。  (wikipedia・ナラノヤエザクラより)]

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知足院参道(Google Map 画像)

知足院山門(Google Map 画像)

知足院本堂前のカメラです。

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