東大寺転害門

マーカーは東大寺転害門です。

東大寺転害門(国宝)
[境内西北、正倉院の西側にあり、三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門。平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火にも焼け残った寺内で数少ない建物のひとつで、天平時代東大寺伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。なお、10月5日の転害会では、この基壇上において手向山八幡宮の祭礼が行われることになっている。  (「転害門|境内のご案内|華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ」より)]

[「祇園社」から更に北へ行くと、東大寺の西大垣の北寄りに「転害(てがい)門」があり、幅六丈の一条南大路に向って開き、天平の様式を今に伝える三間一戸、本瓦葺切妻造八脚門です。「佐保路(さほろ)門」「碾磑(てんがい)門」「景清門」とも呼ばれ、東大寺の鎮守手向山八幡宮の転害会でここをお旅所とし、門中央に御輿を置く石4個あり、謡曲の「大仏供養」では、平家の遺臣悪七兵衛景清京都清水寺に参籠した時、源頼朝が東大寺の大仏供養に参列することを聞き、秘かに奈良に来て、頼朝を襲撃する為、白張浄衣の姿に身をやつし、ここに隠れて待っていたが、頼朝の臣に見破られ、武者を切って立ち去りました。  (「東大寺(その4) – 奈良観光」より)]

東大寺境内図

東大寺転害門 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が東大寺転害門です。

転害門資料リンク
大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画 」・「東大寺景清門」(1-29)[図会左ページ左下に景清門(転害門)、左ページ中程に宝蔵(正倉院)が描かれています。]、「転害門解説・左ページ中程から」(1-42)

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