飛火野

マーカーは飛火野です。

飛火野
[春日(かすが)または春日野(かすがの)は、奈良県奈良市春日野町の春日大社一帯の名称。奈良市および付近の名称。奈良時代に烽(とぶひ)が設置されたことから、飛火野(とぶひの)の別名がある。
特色
春日大社と春日山原始林は1998年12月、第22回世界遺産委員会で『古都奈良の文化財』ユネスコ世界遺産に登録された。
和歌に詠まれる。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)。
飛火野・wikipedia-photo  (wikipedia・春日_(奈良市)より)]

[奈良県奈良市街の東,春日大社に接する林野。〈とびひの〉とも。池や沢などもあり,奈良公園(名勝)に属する。712年急を告げる烽火(のろし)が置かれた地で,万葉などの古歌によまれ,歌枕としても知られる。  (「飛火野 とは – コトバンク 」より)]

[現在は飛火野と呼ばれていますが、古くは春日野とも呼ばれ、御蓋山(三笠山・春日山)を仰ぐ古代祭祀の地でした。 また万葉の昔には貴族たちが、打球(ポロ)をしたことが、知られ、平安時代にも王朝人のあこがれの名所で、 特に若菜摘み、花見など春の遊びの名所でした。 古代の人の信仰と自然を愛する心を是非体感してください。
お杯の清流・雪消の沢・野守の鏡
飛火野の小高い中央部を流れる水流は、春日山に発する神聖な水谷川の水を分水したもので、興福寺境内へ流れ込んでいます。浸出する水分が、飛火野全体を潤し、雪消の沢のような湿地を作りだしています。湿地は飛火野の南、鷺原にもあって、こちらが雪消の沢であったという説もあります。おの曲名にもなった「野守の鏡」もこの付近に出来た丸い池であったのだろうと考えられています。
飛火野の大楠
明治41年の陸軍大演習後、飛火野で催された饗宴の際の明治天皇玉座の跡に、記念植樹されたものです。実際は3本が寄り添って立ちますが、遠くからは一本の大木に見えます。明るい飛火野を象徴する威風堂々とした木です。  (「春日大社ホームページ一之鳥居からニノ鳥居へ」より)]

[春日野鹿 – 春日野(かすがの)周辺に遊ぶ鹿。春日野を含む 奈良公園 周辺に千頭あまりの鹿が生息している。  (wikipedia・南都八景より)]

国立国会図書館デジタル化資料 – 南都八景」 – 「春日野の鹿

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画 」・「飛火の蛍」(1-42)、「飛火野、野守池解説・右ページ1行目から」(1-41)

[春日大社へ向かう参道の右手に広がる飛火野。芝生の上を鹿たちがのんびりと歩き、観光や散策に多くの人が足を踏み入れるスポットです。奈良時代に狼煙台が設けられたことが地名の由来です。大和名所図会の本文には「春日大明神はじめて御光臨の時、八代尊をめしぐしたまへり。夜半に奈良の里に着きたまひしに、道闇(くら)ければ尊は口より火を出だしたまひき。」と、春日大明神光臨の道案内の火が地に残り、聖武天皇の命令で野守に守らせたと紹介されています。さて、図会の挿画では、男性が扇子や笹のような小枝を振り回してを追いかけています。この方法で蛍を捕まえられたのでしょうか。振袖姿の女性はやさしく団扇を差し出し、その先に飛んでいる蛍を侍女がそっと捕まえようとしています。腰を掛けている男女も夕べの一時を楽しんでいます。江戸時代の飛火野は、蛍が舞う名所だったようです。右上には、“風雅(上品で趣がある様)”として、「いにしへの野守のかがみ跡たえて とぶひはよはの蛍なりけり」の歌。かつて狼煙があがった飛火野には、火の粉も無数に舞っていたはず。発光しながら舞い踊る蛍は、まるで火の粉が飛び散るように幻想的に見えたのでしょう。左上には「あげ雲雀(ヒバリ) 飛火の野守 出でて見よ」の句。空高く舞いあがる雲雀のことが詠まれています。雲雀は4月頃、よく通る高音の歌声をあげて盛んに舞います。蛍よりも早い春の情景の句です。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ⑥飛火野の螢(巻之一)(関連 …」より)]
春日野の早蕨」(2-26)

[早春の春日野で芽を出した早蕨(さわらび)を摘む女性たち。煙草をふかしたり(手元をよく見ると、吸い殻入れのようなものが。描写の細かさに感心させられます)、髪をといて結い直したり、着物の袖を袋代わりにしたり、早蕨摘みは女性たちにとって、レジャー感覚で楽しめるイベントだったのかもしれません。右上に「春日のの草葉は焼くとみえなくに下もえ渡る春の早蕨」とあります。当時、春日野では野焼きが行われていたようで、「燃える」と「萌える」が掛けられた歌になっています。「春日野」の地名は現在、奈良公園の春日野園地、春日大社や春日山原始林を含む春日野町に見られます。春日野園地からは東大寺大仏殿若草山が眺望でき、春日山原始林には手つかずの自然が残されています。また、図会本文には、春日という名称の由来が書かれています。いわく、「ここを春日と名づくる事は・・・(中略)・・・春の日の長閑なる御ここ地にて春日と御歓たまひ、その所の里をも春日となづけられ」とあり、春の日のようにのどかで居心地がいいことから名づけられたようです。「奈良の鹿」が多く生息するエリアで、「春日野鹿」は室町時代の文献に登場する南都八景のひとつです。遣唐使としてに渡ったものの、日本に帰国することができなかった阿倍仲麻呂の望郷の歌「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」も“春日”が詠まれた歌として有名です。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ⑪春日野の早蕨(巻之二 …」より)]
在原業平二條后故事.JPG」(1-37)

[在原業平は「春日野の若菜の摺衣」の他に、大和名所図会にもう一度登場します。同じ巻之一の「在原業平二條后故事」です。女性をとりこにした業平が、春日野で武装した追手2人(女性の関係者でしょうか?)に迫られる場面を描いています。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ①春日野の若菜の摺衣 – 奈良ぶらり」より)]

カメラ東方向・飛火野中央の立木前の窪みが雪消の沢です。

カメラ東方向飛火野の大楠です。

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