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厳島神社
[当社は、江戸時代は弁財天社と呼ばれ、元禄年間に現在地に移るまでは、その西方三町ばかりのところにあり、 古代の三室津の跡と推定される地に祀られた水辺の神であったとされる。
当社のある旧大鳳寺村は、江戸時代を通じて智積院の唯一の寺領として、五百石に維持されていた。 当社はその産土神として村人の座により支えられていたものらしい。近世の大鳳寺村は、宇治茶の主要栽培地であり、 海神である市杵嶌姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る当社を祈雨の対象として崇めていたのであろう。
境内には、造成された基壇の上に本殿と末社(新羅神社)が建つほか、別の末社(大神宮)も位置する。 また、社等には、元禄10年(1697)、元禄11年、寛延元年(1748)の石灯籠があり、更に拝殿がある。
本殿は様式から見ると元禄年間の建立であり、その10年ごろまでに完成したのであろう。 つくりは良材でできており、正統的である。また、装飾細部の気分は、この時期としてはやや正統的すぎて保守的に感じられる。 背面から見ると五間社であることがわかるが、向拝と身舎の正面は三間につくり、身舎正面は吹流しとする。
境内の森は、旧大和田村から三室戸へ通じる旧道に面しており、昔の茶師の家も近くて、良い環境が残されている。
規模形式 五間社流造 柿葺(鉄板仮葺) ≪境内「厳島神社本殿」案内板画像より≫]
「厳嶋神社(莵道東中) – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向が厳島神社参道です。