対馬藩蔵屋敷跡

マーカーは対馬藩蔵屋敷跡(VIEQU TOWER OSAKA)です。

対馬藩蔵屋敷
[対馬藩の留守居御殿は、式台・寄附に接して、「次」(12.5畳)と「本座」(8畳、床・棚付き)、で構成されている。居住空間は接客空間の北側に「六畳」「九畳 」の2室で構成されている。対馬藩では、御殿外に役所が設けられているため、役所空間は見られない 。
対馬藩留守居御殿図

対馬藩では西北部の「ヒサシ」が留守居御殿の台所空間になります。
    (「大坂蔵屋敷の住居史的研究 – 住総研」より)]

大阪の地図(1686年)(拡大図)

[絵地図を右にスクロールし、大川に架かる難波橋の左上、右から二区画目が対馬藩蔵屋敷になります。]
※wikipediaでは大阪の地図は1686年作成となっていますが、絵地図を見ると本町橋東詰に西町奉行所が描かれ、大阪城代・阿部正福(伊勢守・1745年 – 1747年)、京橋口定番・植村恒朝(土佐守・1742年 – 1747年)、玉造口定番・森川俊令(兵部少輔・1745年 – 1749年)の名が見えますので、1745年 – 1747年頃の作成になると思います。マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)では、宝暦8年(1758年)としています。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵図左上、大川に架かる難波橋の左下、二区画目に「ツシマ」と記述されています。

カメラ北北東方向が対馬藩蔵屋敷跡に建つVIEQU TOWER OSAKAです。