小町茶屋跡(安立町難波屋のまつ)

マーカーは細井川御祓(おはらい)橋です。

安立町難波屋のまつ 歌川広重画(安立町難波屋のまつ.pdf)

[大和川北岸、紀州街道沿い安立町北部(大阪市住之江区安立1丁目)に位置し、『高野参詣日記』に「霰松原」とあり、古くは海岸沿いの松原であった。江戸期には長柄の杓に茶碗をのせて客に対応することで評判であった小町茶屋があり、茶屋の難波屋はその南側に位置し「あんもち」などで繁盛した。付近には大小2本の老松があり、地を這うばかりに四方に枝先を広げ、その姿が笠に似ているところから「笠松」と呼ばれた。『摂津名所図会』にも「四方に蓋覆して笠のごとし。株の高さ七尺、東西十五間余、南北十三間余、周廻五十間ばかり、年々に四方繁茂して柄柱の数かぞへがたし。奇代の霊松にして往来の旅人ここに来つて賞美せずと言事なし」とある。  (「詳細 :おおさかeコレクション」より)]

[小町茶屋 –  紀州街道を横切る細江川(現・細井川)にかかる御祓(おはらい)橋南詰西側にあった茶店で、明治の中ごろまであった。紀州街道を往来する旅人が一息入れる茶店として賑わったという。ここの看板娘は、お茶をサービスするとき、いたずら防止策として、長柄のひしゃくに茶わんをのせ差し出したそうであるが、これがまた評判を呼んだ。
難波屋笠松跡 – 小町茶屋から50mほど南へ行った反対側(東側)に難波屋という茶屋があり、ここで「あんもち」を売るなど繁盛した。その前栽には大小2本の老松があり、地をはうばかりに四方に枝先をひろげていた。その形が、笠に似ているところから笠松とよはれ、街道を往来する人が必す見物に立ち寄ったという。その名松も、昭和20年ごろ遂に枯死してしまった。  (「大阪市:コラム5 小町茶屋(こまちぢゃや)・難波屋笠松(なにわ …」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「1巻52・住吉小町茶屋」、「1巻59・難波屋松

カメラ位置は細井川御祓(おはらい)橋北詰めでカメラ南西方向角に小町茶屋がありました。

カメラ位置は紀州街道、長居公園通り交差点でカメラ北東方向付近に難波屋があったようです。