尻池街園(高市連黒人歌碑)

マーカーは高市連黒人歌碑です。

尻池街園(高市連黒人歌碑)
[神戸新聞  2010年(平成22年)3月19日付 地域ニュース 長田区
真野で詠まれた望郷の思い 万葉の歌碑を建立 21日に除幕
 日本最古の和歌集「万葉集」に、長田区真野地区で詠まれた歌が残されている。同地区の住民らは奈良時代に思いをはせるとともに、地域の文化を語り継ごうと、同地区東尻池町8、尻池街園に歌碑を建立した。18日に歌の意味などを解説する銘板を設置。21日には除幕式など記念式典がある。
 「いざ子ども 大和へ早く 白菅の 真野の榛原 手折りて行かむ」
 真野地区は奈良時代、都と九州、中国地方を結ぶ交通の要所とされ、役人らが行き交った。湿地には染料として使われた榛が茂っていたという。万葉歌人の高い市連黒人は都へ帰る途中、「さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅(しろすげ)が茂る、真野のの林で小枝を手折っていこう」と望郷の思いを詠んだ。
 歌碑は市内の万葉集研究グループ「万葉三金会」と同地区まちづくり推進会の有志らが企画。刻まれた文字は万葉三金会で講師を務める元啓明女学院高校校長黒川行信さんが書いた。設置された銘板には万葉仮名で書かれた歌の原文と意味などが紹介されている。同推進会の清水光久事務局次長は「郷土に万葉の文化が残っていることを子どもたちに伝えていきたい」と話す。
本碑 表面  高市連黒人
       いざ子ども / 大和へ早く / 白菅の / 真野の榛原 / 手折りて行かむ
       黒川行信書
   裏面  平成二十二年三月吉日
       真野地区まちづくり推進会 万葉三金会 啓明学院 日本音楽社琴唱会
       兵庫県立長田高校 神撫会 
   万葉仮名文  去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而將帰
   読み下し文  いざ子ども 大和へ早く 白菅の真野の榛原手折りて行かむ
          (桜井満訳注「万葉集(上)」旺文社(平成3年4月20日))
   歌の作者名  高市連黒人(たけちのむらじくろひと)
   歌番号    巻3ー280
   歌 意    さあ皆の者よ、大和へ早く行こう。白菅の生えている真野の榛原の枝を手折って行こう。(桜井満訳注 旺文社全訳古典撰集「万葉集(上)」による)
          さあ皆さん方よ、ふるさとの大和へ早く、白菅の生えているこの真野の榛の林の一枝を、おみやげに手折って帰りましょう。(解説板の大意)  (「万葉歌碑 – TOK2」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「11巻2・真野榛原

10巻4・真野榛原解説
[真野榛原(まののはきはら) この辺の榛木原をいふなるべし。 
  『万葉』 また『風雅集』には人丸とあり。謬りならん。 
   いざやこら大和へじゃやく白菅のまののはぎ原手折りてゆかん  高市黒人 
   同   
   白菅の真野の榛はら心にもおもはぬ君が衣にぞする 
『類字和歌集』に、真野は大和国とあるについて、契沖が『吐懐編』に日く「いざやこら大和へはやくの歌は、『万葉集』第三にあつて、高市黒人の歌二首の内なり。上に「白菅のまののはぎ原ゆくさくぞ君こそえらめまののはぎはら」とあれば、津の国なり。また大和へはやくといふにも、やまとならぬ事あらはれたり。はぎはらは榛原と書きて、はりの木はらなり。このゆゑに第七の寄木のうたに「白菅の真野の榛ほら心にもおもはぬ家か衣にぞする」。榛は『日本紀』蓁摺衣と有りて、皮をとりて染具に用ひらるるものなり」。   (「真野榛原 – FC2」より)]

カメラ北方向に高市連黒人歌碑があります。

高市連黒人の歌碑(尻池街園 – Google Map 画像より)