マーカーは尼崎寺町案内板です。
尼崎寺町
[1617年、膳所藩から尼崎藩へ移封された戸田氏鉄が尼崎城築城の際、城域にあたる大物周辺(現・尼崎市大物~東本町)に多くあった寺院を別所村へ集め、一画を寺町とした。
江戸時代初期は20ヶ寺を数えたが、藩主移封に伴う移転などで、現在は3.9haに11ヶ寺が残る。国の重要文化財7件をはじめ、県・市の文化財が多数あり、尼崎市都市美形成条例によって景観の保全・整備が進められた。
なお、全昌寺と本興寺がある区画のみ、現在は開明町3丁目になっている。 (wikipedia・寺町_(尼崎市)より)]
尼崎寺町案内図(「大物主神社の参道⑫寺町(尼崎市・寺町) : エナガ先生の講義メモ」より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「8巻40・尼崎」
[図会下左から如来院、長をん寺(長遠寺)、大がく寺(大覚寺)、法恩寺(法園寺)、かんろ寺(甘露寺)、一つ置いて廣徳寺(広徳寺)と記述されています。]
カメラ北方向に寺町案内板が設置されています。