岡山藩堀川陣屋跡(堀川監獄跡・扇町公園)

マーカーは扇町公園です。

岡山藩堀川陣屋
[大坂湾防衛のために設置された陣屋のひとつ。
1861年、幕府より西宮周辺の海岸警備を命じられた岡山藩が設置。
1858年、幕府より大坂湾防衛(摂海警衛)を命じられた岡山藩は房総半島の警備に当たっていた軍勢を引き上げ、翌年に大坂湾へと派遣。
矢倉新田・嶋屋・布屋新田など、西宮寄りに設置された台場を担当した。
派遣当初には適当な駐屯地が与えられず天満堀川の蔵屋敷を使用していたが、1861年に西成郡川崎村に1万坪の土地を与えられ、陣屋を設置。
1863年に京都警護を命じられ、岡山藩大坂湾防衛の任を解かれた。
堀川の蔵屋敷は1882年に監獄所(堀川監獄)として利用され、1920年まで機能。
監獄所の移転後、建物は撤去された。
跡地には1923年に扇町公園が開園し、現在に至る。  (「岡山藩堀川陣屋(大阪府大阪市) | 滋賀県の城」より)]

扇町公園
[元は西成郡川崎村北野村の各一部。延長開削される以前の天満堀川の堀止付近に位置し、大坂城下(大坂三郷)の天満綿屋町・夫婦町に隣接していた。天満堀川沿いの綿屋町にあった備前岡山藩の蔵屋敷が浪花百景「堀川備前陣屋」にも描かれている。江戸期には刑場があり、1882年(明治15年)に堀川監獄(のち大阪監獄に改称)が設置された。
1895年(明治28年)に大阪鉄道玉造駅大阪駅間が延伸された際に天満駅が開業し、1897年(明治30年)に大阪市へ編入されると急速に市街化した。このため、大阪監獄は1920年(大正9年)に堺市へ移転され(現:大阪刑務所所在地)、跡地には移管された大阪市によって公園が整備されることとなり、3年後の1923年(大正12年)12月に扇町公園が開園した。  (wikipedia・扇町公園より)]

南粋亭芳雪/画 堀川備前陣家(wikipedia-photo)

[天満地域を南北に貫いていた天満堀川は、北は扇町公園付近で行き詰まりになっていましたが、天保9年(1838)北東方向に延長されて大川につなげられました。
 そのころ扇町公園付近の天満堀川に沿った綿屋町に設けられたのが備前岡山藩蔵屋敷で、錦絵画面の右奥には蔵屋敷に船を直接入れるための舟入の水門と、それをまたぐように設けられた舟入橋が見えます。堀端には桜が植林され、美しい景観をなしていました。
 明治の廃藩以降、蔵屋敷跡地は堀川監獄として利用され、後に扇町公園として生まれ変わり、市民の憩いの場となっています。堀川のほとんどは阪神高速道路守口線に転用されています。  (「今週の今昔館(152) 堀川備前陣屋 0190226」より)]

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を右にスクロールすると、大川の難波橋と天神橋の間、上方向に天満堀川、女夫池が描かれています。天満堀川の堀留の上(西)方向が後に岡山藩堀川陣屋跡になります。
※wikipediaでは大阪の地図は1686年作成となっていますが、絵地図を見ると本町橋東詰に西町奉行所が描かれ、大阪城代・阿部正福(伊勢守・1745年 – 1747年)、京橋口定番・植村恒朝(土佐守・1742年 – 1747年)、玉造口定番・森川俊令(兵部少輔・1745年 – 1749年)の名が見えますので、1745年 – 1747年頃の作成になると思います。マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)では、宝暦8年(1758年)としています。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵地図左上、ホリ川の左角に「備前」と記述されています。

今昔マップ on the web」(1892~1910年)、地図中央に堀川監獄が描かれています。

扇町公園内グラウンドのカメラです。