マーカーは本丸門跡碑です。
[本丸門跡は初雁球場近くにある。 (wikipedia・川越城より)]
[本丸
今は家屋がない。南北に門がある。南にある門を天神門と呼ぶ。この門は昔、高麗郡上戸(現河越館)にあったときの城門という。
櫓が2か所ある。西北隅にあるものを虎矢倉(櫓)といい、二重の櫓である。南西隅にあるものを富士見櫓と呼ぶ。この櫓は城中で一番高い所である。富士山が目の当りに見ることができる。土塁は北門から西の隅に至る。また虎矢倉から南西隅の富士見櫓に及び、ここを曲がって東の方の天神門に至る。この門からまた東の方へ廻り、それより北門まですべて塀が築かれている。その外に堀がある。古い地形を想像すれば、この本丸は相当高所にあり要害の地なので、ここを詰の城(郭)として、今の二丸、三丸あたりまで取り入れたと見受けられる。(徳川家康関東へ)御入国の際、修築したがそのままにしていたので、寛永15年、松平伊豆守信綱が外郭を築いて今のようになった。 (「川越城 田曲輪門 : 北武蔵御陣」より)]
川越城図(「わらべ唄 “とおりゃんせ” 発祥の地 <川越城 本丸御殿、三芳野 …」より)
カメラ西北西方向中央後ろの樹木右に本丸門跡碑があります。