平安京大内裏朱雀門址碑

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平安京大内裏朱雀門址
[朱雀門は宮城十二門の一つで,大伴門ともいう平安宮大内裏南面中央の門。二階造りであったことから重閣門とも呼ばれた。南に走る朱雀大路の起点。毎年6・12月の大祓や臨時大祓がこの門で催された。永祚元(989)年・承元3(1209)年に転倒,承元2(1208)年に火災にあった。『伴大納言絵詞』には,貞観8(866)年応天門炎上に際し民衆が朱雀門より内裏に殺到する様を描いている。この石標はその跡を示すものである。
所在地 中京区西ノ京小堀町
位置座標 北緯35度00分49.5秒/東経135度44分33.1秒(世界測地系)
建立年 1953年
建立者 財団法人京都史蹟会
寸 法 高114×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
此附近平安京大内裏朱雀門址
[東]
昭和廿八年三月建 財団法人
京都史蹟会
調 査
備 考 2002年2月5日  (「NA051 平安京大内裏朱雀門址 – 京都市」より)]

[二条駅前広場にも、平安京朱雀大路と朱雀門跡碑があります。]

朱雀門付近の碑 – Google Map 画像リンク」「平安京大内裏 朱雀門址 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向・樹木左に平安京大内裏朱雀門址碑があります。

朱雀門
[朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」とも。中国の条坊制を模範に造営された古代都城では、中央北辺に宮殿、官衙からなる宮城が置かれた。平城京では平城宮、平安京では平安宮などといい、大内裏とも呼ばれた。大内裏には四方に12の門が備えられ、各々有力氏族の姓が付与されていた。南門は「天子南面す」というように、皇宮より京師を睥睨(へいげい)する最も重要な門であり、朝廷の有力氏族、大伴氏の姓が付けられ「大伴門」と呼ばれていた。714年(和銅7年)これを漢風に改め、四神において南方を守護するとされる朱雀の名を冠したものとした。朱雀門から都城正門の羅城門に続く大路を朱雀大路という。長岡京や平安京でも同じ名を冠した門を宮城正門とし、朝廷の正庁たる朝堂院の正門であった応天門などと並んで最重要視されたが、大内裏の衰微に従い次第に荒廃し、ついには鬼や盗賊が住むといわれるほどに荒れ果てたという。平安宮朱雀門は現在の京都市二条千本通にあったといい、旧跡には小さな石碑が立つのみである。  (wikipedia-朱雀門より)]

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