広島藩蔵屋敷跡

マーカーは広島藩蔵屋敷跡です。

広島藩蔵屋敷跡
[久留米藩中之島蔵屋敷の隣には、広島藩蔵屋敷跡が所在しており、この広島藩蔵屋敷跡地は蔵屋敷跡地の中でも大規模な調査が行われ、多くの遺構や遺物が検出されている。絵図で船入が表現されている堂島川に面した敷地北側では、発掘調査により船入に伴う石垣と水門が確認された。

(※左のエリアが久留米藩、右の敷地の長いエリアが広島藩蔵屋敷地になります。)
「大坂中之島御屋敷絵図」と「芸州大坂御屋敷全図」(1866年)の船入には違いがあり、この2つの絵図の表されている年代の間に船入の改築が行われた可能性が推測されたが、近年の調査で古い段階の船入に伴う石垣が発掘され、考古学的に改築が裏づけられただけでなく、出土遺物により19世紀になってからそれが行われたことが明らかにされた。
船入より南では米蔵2軒と井戸1基が検出され、久留米藩蔵屋敷との敷地境の石垣も見つかっている。  (「5013_1_久留米藩蔵屋敷跡.pdf」より)]

広島藩の蔵屋敷(「日本財団図書館(電子図書館) 海の総合学習テキスト」より)

[御殿における居住空間の位置、規模、室構成等を見ると、広島藩では、西部に南面して「御次」(10畳)、「御居間」(12.5畳)等、で構成されている。役所空間では、北東部に「御勘定方詰所 」(16畳)が設けられている。この詰所に接する「御蔵」は、入口の位置から銀蔵であった可能性が高い。台所空間では、中央部から東に「大席」(29畳)や「板本」、「御台所」等が大きな部分を占めている。
広島藩御殿図

    (「大坂蔵屋敷の住居史的研究 – 住総研」より)]

広島藩蔵屋敷跡発掘調査(HS01−1次)現地説明会資料

大阪の地図(1686年)(拡大図)

絵地図を右にスクロールすると、堂島川に架かる、田蓑橋左下に「松平安芸守(浅野光晟)」と記述されています。
※wikipediaでは大阪の地図は1686年作成となっていますが、絵地図を見ると本町橋東詰に西町奉行所が描かれ、大阪城代・阿部正福(伊勢守・1745年 – 1747年)、京橋口定番・植村恒朝(土佐守・1742年 – 1747年)、玉造口定番・森川俊令(兵部少輔・1745年 – 1749年)の名が見えますので、1745年 – 1747年頃の作成になると思います。マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)では、宝暦8年(1758年)としています。

大阪繪圖 – 国際日本文化研究センター(日文研)」(成立年代-文久3(1863)年)絵図中央左、堂島川に架かる田蓑バシの右下に「廣嶌」と記述されています。

カメラ位置は田蓑橋南詰交差点で、カメラ南方向が広島藩蔵屋敷跡に建つ大阪中之島美術館です。