恩智神社

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恩智神社
[恩智神社(おんじじんじゃ/おんぢじんじゃ/おんちじんじゃ)は、大阪府八尾市恩智中町にある神社。式内社名神大社)で、河内国二宮と伝わる。旧社格は府社。神使は兎と龍とされる。
創建は不詳。社伝(「恩智大明神縁起」)では、神功皇后三韓征伐の際に住吉神・恩智神が現れて皇后を守護したので、恩智神は高安の七郷を賜ったとする。また現在の神社側では雄略天皇14年頃の創建としている。一方、「恩地神主」系図では、欠史八代の世代に属する御食津臣命の子・大期弊美命(近江羽衣伝説伊香刀美の兄弟)が神戸などを定め、神主として恩地神を祭祀したと見える。
現鎮座地に遷座するまでは西方の天王の森(現在の御旅所)に鎮座したというが、同地は弥生時代中期を中心とする遺跡(恩智遺跡)として知られ、恩智神社の創祀との関連性が指摘される。現社地への遷座の時期は確かではないが、伝承上では後述のように南北朝時代初期頃という。
中世期に入り、応永16年(1409年)には御体御卜に祟る有力社に遣使があったうちに当社が見える。天文20年(1551年)の観心寺の正月会での諸神勧請の際は、河内国では枚岡大明神に続いて恩智大明神と見える。
社伝(延宝3年(1675年)文書)では、南北朝時代初期頃に楠木正成に従った恩智左近が恩智城を築城した際、城が神社を見下す形になったため旧社地(天王の森)から現社地に遷座したというほか、戦国時代には織田信長の頃の放火で社殿が焼失したという。
なお、一般に恩智神社は河内国で枚岡神社に次ぐ二宮の位置づけにあったといわれるが、中世期に恩智神社が二宮であることを示す確かな史料はない。
明治神仏分離では神宮寺の天川山神宮寺感応院が分離され、明治4年(1871年)に恩智神社境内の観音堂が感応院境内に移されている。
また、明治時代までは奈良春日大社猿楽は当社が受け持っていた。

鳥居・wikipedia-photo

境内入り口・wikipedia-photo

拝殿・wikipedia-photo

本殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・恩智神社より)]

河内名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [著] ; 丹羽桃渓 画 – 早稲田大学」 – 「恩地社石階(5巻5)

恩智社(5巻4)

恩智神社参道前のカメラです。

恩智神社拝殿前のカメラです。