マーカーは摩耶山旧天上寺跡です。
摩耶山史跡公園
[摩耶山史跡公園(旧天上寺 跡)
六甲山地は、東は宝塚方面から、西は須磨の鉢伏山まで大阪湾岸に並行して東西に約50km続いています。このうち、灘のすぐ北に高くそびえる摩耶山 (702.0m)は、大化2年(646年)、孝徳天皇の勅願を受け、インドの高僧法道仙人により仏教寺院が開創されました。これが摩耶山忉利天上寺です。
最盛時には比叡山、高野山、摩耶山と並べられ、伽藍が三百、僧数は三千人という大寺であったと伝えられています。また、長い歴史の中では、地震、台風、火災などしばしば災害に会いましたが、その都度再興され、観音霊場や安全祈願の寺として信仰されてきました。表参道である上野道のほか、兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。杣谷からの摩耶東谷や青谷道もこの寺に参る山道でした。
昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物のほとんどを焼失しました。その後、寺は、寺は開創の地と伝えられる元摩耶(ここより北へ約900m)へ移転し再建されました。
神戸市では、旧境内地を歴史伝説を有する史跡公園として整備しています。
平成25年 神戸市 (「摩耶山史跡公園 – Google Map 画像」より)]
「摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「9巻48・摩耶山.JPG」
[摩耶山 麓より坂路十八町の間壱町毎に標石あり]
忉利天上寺
[忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある摩耶山真言宗の大本山の寺院。山号は佛母摩耶山。本尊は十一面観音菩薩と仏母摩耶夫人尊。釈迦の生母である摩耶夫人を本尊とする日本唯一の寺である。通称は天上寺という。新西国三十三箇所第22番札所。
最盛期には多くの塔頭、僧坊を抱えており、最も栄えた頃は3,000人の僧を擁する摂津地方第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族・武将なども含め、広く信仰され、花山・正親町両天皇の御願所でもあった。
江戸時代には将軍徳川家光により摂津国の鎮護寺(護国寺)に選定され、紀州徳川家が将軍家の代参の役をつとめた。このため天上寺の紋は、天皇家より賜った五七の桐紋と徳川家より賜った三葉葵紋を合わせた二種紋となっている。
1976年(昭和51年)1月30日未明、賽銭泥棒による放火のため、仁王門や一部の塔頭・庫裏を除いて全焼した。現在は北方約1kmにある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建された。旧境内は摩耶山歴史公園として整備されており、旧伽藍の解説板などが整備されているほか、焼け残った仁王門も残されており、石垣や石段なども往時を偲ばせる。ただ、仁王門以外の建物(庫裏など)は整備されておらず、朽ちかけている。
忉利天上寺石柱門と西山門・wikipedia-photo
忉利天上寺西山門・wikipedia-photo
花山、正親町両天皇の御願所門・wikipedia-photo
忉利天上寺金輪堂・wikipedia-photo
忉利天上寺摩耶夫人堂・wikipedia-photo
忉利天上寺金堂(本堂)・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、忉利天上寺の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・忉利天上寺より)]
忉利天上寺、摩耶山旧天上寺跡(摩耶山)周辺図(「オープンストリートマップ」より。)
上野道登山口のカメラです。(Google Map)
旧天上寺 仁王門前のカメラです。(Google Map)
摩耶山旧天上寺跡前のカメラです。
摩耶山天上寺 西山門前のカメラです。(Google Map)
摩耶山天上寺 本堂前のカメラです。(Google Map)