施福寺

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施福寺
[施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市槙尾山町にある天台宗の寺院。山号は槇尾山。本尊弥勒如来(札所本尊は十一面千手観世音菩薩)。槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)と呼ばれ、槇尾山(標高600m)の山腹に位置する。西国三十三所第4番札所。槇尾山とともに大阪みどりの百選に選定されている。
施福寺の初期の歴史は伝説色が濃く判然としないが、『日本霊異記』に言及されている「和泉国泉郡の血渟(ちぬ)の山寺」は当寺のこととされ、同書の成立した9世紀前半には著名な寺院であったことが伺われる。
正嘉年間(1257年 – 1259年)、後白河上皇所縁の法華経と仏像が奉納されたことが縁起に見え、寺が所蔵する「法華経妙音菩薩品」(平安時代の装飾経)がそれにあたると推定されている。仁治年間(1240年 – 1243年)には、仁和寺菩提院の僧・行遍によって灌頂堂(密教の師資相承の儀式を行う堂)が建立されており、中世には当寺は仁和寺の支配下にあった。
南北朝時代には南朝方の拠点の一つとなり、寺の衆徒も南朝方に与した。そのため戦火に巻き込まれることが多く、寺は衰亡した。天正9年(1581年)には織田信長と対立したことが原因で一山焼き払われるが、後に豊臣秀頼の援助により慶長8年(1603年)に仁王門を始めとする伽藍が復興された。
近世には徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間(1624年 – 1645年)頃に真言宗から天台宗に改宗し、江戸寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845年)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。
麓には駐車場があるが、本堂(標高475m辺り)に至るには標高280m辺りの駐車場から約1キロメートル(約30分から40分の登山)もの急峻な階段を登らなければならない。西国三十三所のなかでも厳しい参道として知られる。槇尾山付近のハイキングを兼ねた参拝者が多く見受けられる。  (wikipedia・施福寺より)]

和泉名所図会. 巻之1-4 / 秋里籬嶌 [著] ; 竹原信繁 画」 – 「巻尾ハ西國巡礼第四番の札所也(3巻18)

巻尾山施福寺(3巻19)

槇尾門前(3巻20)

施福寺参道口のカメラです。

施福寺仁王門前のカメラです。

施福寺参道石段のカメラです。

施福寺愛染堂前石段のカメラです。

施福寺本堂横、本坊前のカメラです。