稲渕の棚田

マーカーは稲渕の棚田です。

稲渕の棚田
[中世(平安~室町時代)に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれた稲渕の棚田は、300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっており、農村の原風景を強く残しています。(平成23年重要文化的景観指定)
秋に棚田の畔や土手に咲く、彼岸花の県下有数の自生地でもあります。  (「奈良県景観資産-稲渕の棚田-/奈良県公式ホームページ」より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画 」・「神さびて幾代を過ぎぬ故里と」(1-38)

[神さびて幾代を過ぎぬ故里と(巻之一)(関連スポット:明日香村稲渕の棚田)
奈良県内のどこか、場所は特定されていませんが、江戸時代の奈良の農村ののどかな風景をとらえたひとコマです。現在も、江戸時代も、奈良(大和)は神々のふるさとだと讃えられています。そのことを詠んだ「神さびていく代をすぎぬ古郷となりにしならのやまのはの月」が左上に添えられています。この歌を詠んだのは、藤原光俊鎌倉時代の公家・歌人で、『新古今和歌集』の選者のひとりを務めた人物です。父は、承久の乱(1221年、朝廷・後鳥羽上皇鎌倉幕府北条義時を討伐せんと挙兵するも敗戦)の責をとって処刑された藤原光親で、光俊自身も筑紫に配流されました。「神さびる」とは、古びていて神々しく見える、荘厳で神秘的であるといった意味ですが、それに対して描かれた農村・田園風景はユーモラスです。木の下で一服する男性の顔面に向かって、するすると垂れてくるクモ。枝に綱をつるし、やかんに湯を沸かす男性。典型的なやかんの姿かたちは、江戸時代も今と同じだったのですね。ござに座っている2人の女性は、2人の男性それぞれの奥様でしょうか。何がおかしいのか、笑っているようです。背景の水田を見る限り、季節は本格的な田植えの前。くつろいだ雰囲気は、農作業に追われておらず、ゆとりがある証拠。そうだとすると、5月頃の風景でしょう。大人たちが和んでいる一方で、ふんどし一丁締めた少年は、何やら重量感のある荷物を天秤棒で運んできます。みんなで食べる昼食なのかもしれません。藤原光俊の歌意とは対照的に、絵師・竹原春朝斎の遊び心が詰まった絵図。  (「『大和名所図会』今昔めぐり ⑤神さびて幾代を過ぎぬ故里と」より)]

棚田 | 明日香村観光ポータルサイト 旅する飛鳥」、「やっと逢えた!飛鳥の棚田に咲く彼岸花とひょうきんな案山子たち

棚田展望台 – Google Map 画像リンク

稲渕の棚田