野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)

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野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)
[野口王墓(のぐちのおうのはか)は、奈良県高市郡明日香村にある八角墳古墳時代終末期の古墳である。宮内庁により「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」として第40代天武天皇・第41代持統天皇の陵に治定されている。『日本書紀』には「大内陵」と記される。
墳丘は現在東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状である。本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段をめぐらすとされる。2室からなる切石積みの石室があり、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められているとされている。本古墳は、天皇が埋葬された古墳として考えてよく、被葬者の実在性も問題がない。治定が信頼できる数少ない古代の陵墓である。同様の事例には、天智陵(御廟野古墳)を上げることができる。 しかし、本古墳は1235年(文暦2年)に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われた。その際、天武天皇の棺まで暴かれ、遺体を引っ張り出したため、石室内には天皇の遺骨と白髪が散乱していたという。持統天皇の遺骨は火葬されたため銀の骨壺に収められていたが、骨壺も奪い去られ、無残な事に中の遺骨は近くに遺棄されたという。
野口王墓古墳(2019年9月)・wikipedia-photo

天武天皇、持統天皇檜隈大内陵 拝所・wikipedia-photo

  (wikipedia・野口王墓より)] 

古記録からみた飛鳥①古記録からみた飛鳥① – 明日香村|江戸時代の『大和名所図会』などから、近世における野口王墓古墳周辺の様子を読み解き。

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「倭彦命窟鬼厠鬼俎板亀石」(5-50)

[図会左ページ、左に「かめ石」、右に倭彦命窟、右ページ下、左に「鬼のまないた」、右に「鬼のせっちん」が描かれています。倭彦命窟(現在は野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)に治定)について「土人(土地の人)武烈の窟といふ」と記述されています。]

[江戸時代には鬼の俎・鬼の雪隠東方の石室を倭彦命墓に比定する説もあった。明治10年(1877年)4月に内務省によって現在の墓(桝山古墳)に定められ、明治19年(1886年)に宮内省(現・宮内庁)によって用地買収とともに同地にあった神社が移転され、明治23年(1890年)から修営された。しかし現在では治定に否定的な見解も強い。  (wikipedia・倭彦命より)]

野口王墓(天武天皇・持統天皇檜隈大内陵) – Google Map 画像リンク」、「天武・持統天皇檜隈大内陵 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)参道です。

野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)参道のカメラです。

野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)廟前のカメラです。

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