飛鳥京跡苑池

マーカーは飛鳥京跡苑池の南池です。

飛鳥京跡苑池
[飛鳥京跡苑池は、「伝飛鳥板蓋宮跡」の北西に隣接した庭園遺構であり、1999年(平成10年)の発掘調査で確認された。外国使節などを歓迎する饗宴の場として利用されたとみられている。藤原京以前に宮都に付随した苑池が営まれていたことがうかがわれる重要な遺構である。2003年(平成15年)に国の史跡・名勝に指定された。2015年9月には、苑池に入るための門跡が初めて見つかったと橿原考古学研究所が発表した。
1916年(大正5年)に「出水の酒船石」が発見されていた。その出土地点確認の発掘調査で飛鳥川の川辺にある小字「出水」と「ゴミ田」苑地遺構が出土した。2002年(平成14年)時点で、東西80メートル、南北200メートルの広大な苑地である。斉明朝(7世紀中葉)に造営され、天武朝(7世紀後半)に整備され、10世紀に至るまで機能し、鎌倉時代までには完全に埋没していたと推測されている。
2013年、「川原寺坏莫取若取事有者**相而和豆良皮牟毛乃叙又毋言久皮野*」(*の箇所は判読不能)などと漢字と万葉仮名で刻まれた土器が見つかった(発表と一般公開は2014年)。読み下すと「川原寺の坏、取ること莫(なか)れ、若(も)し取る事有らば、**相す、而して和豆良皮牟毛乃(煩(わづら)ひむもの)、叙して又(ま)た久しき皮野*(ひや*)を言ふこと毋(な)し」となる。文言は土器の外側に刻まれており、マスメディアによれば、意味は「川原寺の坏(つき)であるから取るな。もし取れば災いが起こる」であるとしている。
飛鳥京跡苑池 北池(2018年発掘調査時。)・wikipedia-photo

北池北東部の水祭祀遺跡(2019年発掘調査時)・wikipedia-photo

  (wikipedia・飛鳥京跡より)]

飛鳥京跡苑池で初めて門跡見つかる 天武天皇ら出入りか(1/2 …

]PDF:1.9MB – 奈良県 – 飛鳥京跡苑池の整備

飛鳥京跡苑池 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が飛鳥京跡苑池発掘現場です。

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