高松塚古墳

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高松塚古墳
[高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されている。
高松塚古墳の発掘調査は、1972年3月1日から開始された。発掘の始まったきっかけは、1970年の10月ごろ村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ、穴の奥に古い切石が見つかったことである。地元の人達が明日香村に働きかけ、明日香村が資金を捻出し奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査することになった。発掘は明日香村が事業主体となり、橿原考古学研究所が実際の発掘を担当した。石室が検出され、鮮やかに彩色された壁画が発見されたのは同年3月21日のことである。古墳は1973年4月23日、特別史跡に、また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されている。
古墳の年代 盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期と推定されていたが、2005年の発掘調査により、藤原京期694年~710年の間だと確定された。
被葬者については諸説あり特定されていない。そもそも飛鳥地域の古墳群で被葬者が特定されているものが稀である。被葬者論に関しては、大きく3つに分類できる。
天武天皇皇子説 – 忍壁皇子高市皇子弓削皇子ら、天武天皇の皇子を被葬者とする説。しかしながら、出土した被葬者の歯やあごの骨から40代から60代の初老の人物と推測されており、20代という比較的若い頃に没したとされる弓削皇子の可能性は低いと考えられる。
●臣下説 – 石上麻呂説。この説となると高松塚古墳は奈良時代の年代となる。
●朝鮮半島系王族説
高松塚古墳全景・wikipedia-photo

高松塚古墳近景・wikipedia-photo

壁画全景(複製) 関西大学博物館高松塚古墳壁画再現展示室展示。wikipedia-photo

石槨レプリカ展開図 – 関西大学博物館高松塚古墳壁画再現展示室展示。wikipedia-photo

高松塚古墳壁画 西壁女子群像・wikipedia-photo

白虎・wikipedia-photo

玄武・wikipedia-photo

  (wikipedia・高松塚古墳より)]

高松塚古墳 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が高松塚古墳です。

カメラ北方向が高松塚古墳です。

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