鬼の爼・鬼の雪隠

マーカーは鬼の雪隠です。

鬼の爼・鬼の雪隠
[鬼の俎(おにのまないた)と鬼の雪隠(おにのせっちん)は、奈良県明日香村野口(鬼の俎)、明日香村平田(鬼の雪隠)にある花崗岩で作られた遺構。
●畑の中を通る遊歩道の脇の高台には「鬼の俎」が、遊歩道を挟んだ高台の麓に「鬼の雪隠」がある。両者は直線距離にして数十メートル離れているが、元は1つの古墳の石室だったものが、盛土が無くなったうえ、二つに分かれてしまったものである。元々は繰り抜かれた横口式石槨の石室(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)であった。
●大きさ
  底石(俎)は長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。
  石室(雪隠)の内幅は約1.5m、高さ約1.3m。
●言い伝えによると、風の森と呼ばれるこの地方に鬼が棲んでおり、通行人を騙してとらえ食べたと云われている。「俎」で調理し、「雪隠」で用を足したという。
●底石(俎)には多数の穴が開けられており、割り取ろうとした形跡がみられる。これは高取城建設の際に、石垣の石材として利用しようとしたためとみられる。
●双墓説
俎の位置は雪隠から見てやや東側にずれている。実は現在の俎の西にもう一つ別の俎があり、明治の頃に小さく割られ庭石に転用されたという。すなわち鬼の俎・雪隠古墳は双墓であり、現在の雪隠は西側にあったもう一つの俎と組み合わされた石槨だというのである[1]。割られた石は橿原考古学研究所付属博物館の屋外に展示されている。
鬼の俎・wikipedia-photo

鬼の雪隠・wikipedia-photo

  (wikipedia・鬼の爼・鬼の雪隠より)]

大和名所図会. 巻之1-6 / 秋里舜福 [著] ; 竹原信繁 画」・「倭彦命窟鬼厠鬼俎板亀石」(5-50)

[図会左ページ、左に「かめ石」、右に倭彦命窟、右ページ下、左に「鬼のまないた」、右に「鬼のせっちん」が描かれています。倭彦命窟(現在は野口王墓(天武天皇・持統天皇陵)に治定)について「土人(土地の人)武烈の窟といふ」と記述されています。]

[江戸時代には鬼の俎・鬼の雪隠東方の石室を倭彦命墓に比定する説もあった。明治10年(1877年)4月に内務省によって現在の墓(桝山古墳)に定められ、明治19年(1886年)に宮内省(現・宮内庁)によって用地買収とともに同地にあった神社が移転され、明治23年(1890年)から修営された。しかし現在では治定に否定的な見解も強い。  (wikipedia・倭彦命より)]

鬼の雪隠(欽明天皇陵陪塚) – Google Map 画像リンク」、「鬼の俎(欽明天皇陵陪塚) – Google Map 画像リンク

鬼の爼前のカメラです。

鬼の雪隠前のカメラで、カメラ北方向に案内碑があります。

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